た。同時にだんだん自分達の貧乏世帯のやり繰時代を忘れて、何時とはなく実は沢庵を食べていたという一面は忘れて、祖父の金モール服や二頭立の馬車だの、宮中だのという面だけを記憶の中に蘇らしてくるようになりました。これは日本の一般的な空気が反動的になってくるにつれて、烈しくなった。この点は実に意味深いところであると思います。
祖父という人は、当時の日本文化に対しては勿論、明治という時代そのものがもっていた古いものの重しを受けてはいたが、どちらかといえば進歩的な人でした。母は自分の父を追懐することの多くなった晩年に於て、祖父が果した文化的な役割の、そういう新しかった面の高い価値を評価することを知らず、ただ祖父の位階勲等や、祖父の発意でたてられたある修養団体で読み上げられる「創祖西村茂樹先生」の面でだけ評価をしたために、母と祖父との関係は今日の歴史にとって見ると、後へひきもどすための力としてだけに作用した形です。
私は母に対する愛情、つまり最も愛する一人の婦人の生涯の道行きを眺める者として、こういう点にも母に対する深い気の毒さと残念とを感じます。母はそういう逆もどりをする他の面に、実に高く値打
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