代の境遇や、まして結婚してからの環境の関係で、すなおに晴々と伸びることが出来ず、いつも不平や憤り、――女であるということの社会的憤懣などの形をとってあらわれた。しかも明治二十七八年、三十七、八年戦役という歴史的な時期を、若い女性の発展期に経験しているので、いわば明治から大正、昭和にかけての日本の文化の進歩的な面とそれと矛盾する古い反動的な面とを一身にそなえていたのでした。生活力が盛んでいわゆる日本婦人的慎しみというものは、一旦こうと思うと平気でかなぐり捨てることの出来る人でした。それ故、娘である私とのいきさつに於ても、婦人雑誌で典型づけている母性というものとは、較べものにならない烈しさ、相剋、苦しい愛情の身悶えのようなものがありました。
 強い人間にとっては重荷であるが面白い、弱い人間にとっては益々その人を弱くし卑屈にし、依存的にさせる、母はそんな風な猛烈な性格者であった。ですからまことに、歴史的に見て興味があり、子供との関係でも、母から溺愛的に愛された子は、何かしら母が無条件に愛せる弱いところをもっていて、私のように母と互に愛しあいながらも、この人生についての考え方、生き方で、対立し
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