た。父と娘という互の心持から云えば考えることも出来ないような力が否応なく外から働きかけて来て、自由に会えなくなったりすることのあるのを私たちは一九三二年の春このかた知った。父独得の自然でこだわらない性格から、こういうことのさけがたさ、やむを得なさとを会得し、同時にそういうやむを得ない中断によっても変えることの出来ない父娘の愛情を極く自在な形でたのしむ術をも会得して行ったのであった。
 一年前の五月九日、翌る朝から自分の境遇が激変するとも知らず、私は午後から本郷の父の家へ遊びに行った。一昨年母がなくなってからここには父と弟夫婦と妹とが暮している。生れて半年ばかりの赤坊もいて、お祖父さんになった父は私を自分の隣りに坐らせて大賑やかに晩食をした。九時頃になったとき、私は自分宛に来ていた雑誌などを帛紗《ふくさ》に包みながら、
「さあ、そろそろ引上げようかしら」
と云った。父は、渋い赤がちの壁紙を張った食堂の隅の安楽椅子にくつろいで、横顔をスタンドの明りに照らし出されていたが、
「なあんだ、泊って行くんじゃなかったのかい」
と如何にも不本意げに云った。
「帰ったって誰もいやしないじゃないか。泊っ
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