と引離されている、その一対がそんな海辺の小家で睦じく生活する日々の美しさなどというものは、或る状態の気分のときの空想にはたのしく描かれるかもしれないが、けれども現実に動く生活を必要とする自分たちのような父娘には実際問題としてなりたたないことと思えた。
父もその時は久しぶりの国府津であった。私達は薪を燃した大きい炉の前で波の音をききながらいろいろのことを話した。父の祖母に当るお俊というひとが一風ある婦人であったということもきいた。息子である父の父親が開墾事業に熱中しながら薄茶を大変好んでいたのをそのお俊という大祖母さんがおこり、薄茶立てたて開墾が出来るかと、それを封じてしまった。ところが、この祖父は僅か六十一歳で没した。その時お俊お婆さんは涙をこぼしながら、こんなに早く死ぬのだったら薄茶ぐらい飲ませてやればよかった、お運、立ててやれと、嫁である祖母に云って供えさせたそうだ。父は、このこわかったが物わかりはよかった祖母さんに、精一郎はお皿だ、と批評されたことがあったとその晩笑って云った。
「間口がひろくて、浅いところは我ながら成程適評だと思うね」
「――でも、お父様は小皿じゃないわ。かな
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