紳士が帽子を手に持って待っていて、出かけるばかりのところである。私は、覚えず少しがっかりした調子を声に出して、
「お出かけ?」
と云いながら近づいて行った。
「ほう、来たね」
父はいかにも上機嫌な歓迎の表情で顔をあげた。
「ゆっくりしといで」
「きょう、来て下すったんだって?」
朝のうち出かけて帰って来たら、生垣の向うから隣りの奥さんが声をかけて、お父様がいらしったようでしたよ、頻りに百合子、百合子って、大きな声で幾度もお呼びんなっていましたよ、と教えてくれた。私はそれをきいて、朝からしめっぱなしの家の雨戸をそのまんま、やって来たところなのだった。
何だか、じゃあまた来直おそうという気もしないで、賑やかに幾分仰々しい出仕度を眺めてそこに立っていた。すると父は自分の方を人まかせにしながら、
「ああ紹介しよう」
と、こちらは××の誰さん、
「娘です」
と云った。私はその人と改めて挨拶をした。父はそのとき少し浮立って見える程であった。そして、××君とその客の名を呼びかけ、二言、三言今は思い出せないが何か単純な冗談めいたことを云った。父は自分から興にのってそれを云ったのだけれど、当の若い
前へ
次へ
全20ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング