文化的雰囲気などというものも、私として或るところ迄推察されないこともない。いつの晩だったか、やはり父が安楽椅子に、そして私がその足許にくっついて喋っていたような時、
「だってお父様、日本倶楽部だの何だのでそういう話なんかなさらないの? みんなお歴々なんじゃないの?」
と、訝しく思って訊いたことがあった。その夜の夕刊に出た何か政治的のことであった。
「そりゃそういう人もあるだろうが、俺はきらいだ、面倒くさいよ」
父はこういうたちであった。自身は淡白に、無邪気に建築家という技術を唯一の拠りどころとして生き通した。専門が違い、細かいことは分らないながら、私は世の中での父の仕事というものを幾分観ていたから、父が一箇の建築家から曾禰達蔵博士と共同の建築事務所の経営者としての生活に移って行く意味深い歴史の変化も、恐らくは父の知らなかったに違いない関心で眺めていた。
去年、まだ寒い時分の或る夕方のことであった。林町へ出かけて行って何心なく玄関をあけたら厚い外套を着た父が沓脱石の上に立っていて、家のものがスパッツのボタンをはめてやっているところであった。わきに、もうすっかり身仕度のすんだ一人の青年
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