子爆弾の犠牲となったため田舎へ帰ったが、急な帰京が必要となって、呉線の須波―三原の間、姫路の二つ三つ先の駅から明石まで、徒歩連絡した。須波と三原との間は雨の降りしきる破壊された夜道を、重い荷を背負った男女から子供までが濡れ鼠となって歩いた。
姫路は、あの辺の重要都市の一つであり、空爆をうけて焼かれている。バラックの駅長事務所で、小雨に打たれて列に立ちながら、連絡について、いくらかでも具体的なことを知りたいと思ったら、若い駅員は、最後に「どことも電話が通じないんだから分らんよ」と答えた。それは、答えというよりも、寧ろ、これでもまだ訊くか、と居直ったような語気で云われたのであった。
どうやら帰京して、上野駅で人を待つ用事が起った。待つ列車は青森発東北本線の上りで、夜の九時すぎにつく予定であった。
大混雑をぬけて出口に立ちつくしたが、その前の信越線、八時二十分からがいつ迄経っても入って来ない。改札係の板の上には、時間表があり、定刻と、おくれて到着した各列車の時刻とが対比して書き込まれている。けれども、駅員たちは、柵の外に困却して佇んでいるわたしたち同様、その列車がそこに出現する迄は、ど
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