際聴ける機械は、さし当りどこに在るのかわからない状態が生じているのである。
日本の人々の生活にとって、この一二年の間にラジオの位置は、徹底的に変化した。空襲以来、すべての人は、ラジオが生活の必需品であり、それは米と一緒に守らなければならないものとして理解するようになった。一つは、報道が人々の生命の安全に直接関係したからであるし、他面では、機械がなくて、一度失ったらもう手に入り難いという事情に立っている。部屋を照す電球が買えないのと等しく、ラジオのための真空管は、普通人には買えないものの一つとなっている。
ラジオは文化の享受面に立つものであるけれども、今日では誰の目にもそれが直接日本の生産技術の低さと繋った不自由に縛られていることが明らかとなって来た。何故それほど生産技術が低いのだろうか。そしてまた何故、これほど必需品生産は、企業家たちによって怠業の状態におかれているのだろうか。疑問は、ラジオ一つを通じてさえ今日の生産活動の渋滞の本質を知りたい願いとなって来るのである。
今年は九月下旬から十月初旬にかけて日本西部が深刻な風水害をうけた。山陽本線は一ヵ月も故障したのであった。義弟が原
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