又雛勇はんがすきに御なりやはったのやけ?」
 今まであんまり口数をきかなかった中位の妓が云い出した。「そうですとも……もとからすきだったのが御うたきいたんで倍も倍もすきになったんです、どうして心配なの? すきだって何にも悪かないでしょう……」こんな事を平気なかおして私は云いのけた。
 お妙ちゃんは私の口元を見ながらかるくほほ笑んで居る――その様子が又たまらないほど可愛い様子だ。私は頭ん中でこういってやった。「どうしたってどうなったっても私はお妙ちゃんがすきなんだから、……いいさ、だれがなんて云ったって……」そんな事を云いあって笑ったりなんかしておひるすぎまでさわいで二時頃ビックリした様な気持で家にかえった。家のたたみの上に畳って居ても「又ナー」云って一寸私の小指のさきをつまんだお妙ちゃんの様子やあのバラ色のかおのリンかくを思うと又すぐ行きたい様な気がした。夜になったら座に行って会おうこんな事をたのしみにして夕飯をしまうとすぐ髪を結いなおして縮緬しぼりの長い袖の着物に白い博多を千鳥にむすんで祖母をひっぱって出かけた。
 私は幕のあくたんびに御妙ちゃんの出るのがまち遠しくてまち遠しくて自分の目の前にひっぱって来たいほどになった。一番おしまいの幕の一時に大沢の舞子の出た中に端から二番目に花がさをもって立って居るのがお妙ちゃんだった。私はフッと少し立ち上った。お妙ちゃんはまだ見つけて居ない。こっちをむくたんびに私はのび上った。フッと思わない時にお妙ちゃんは見つけたものと見えてその次にこっちを見た事[#「事」に「(ママ)」の注記]には笑って居た。幕が下るとすぐ男が私の様子をジロジロ見ながら「雛勇はんが着変るまでまっとくれなはれとことづけと云う事でござりますから」こんな事を云って居た。私は外に立って楽屋から出て来る一人一人を目をはなさず見て居た。「まっとりやすの、あの人もうとうに家へかえりやしたワ」あの小っぽけなのが私のまるで知らないのと二人でこんな事を云って肩をたたいて行ってしまった。雛勇はんはなかなか出て来ない。「もしかするとあの妓が云ったのがほんとうなのかも知れないけど」こんな事を思いながら下駄の先で小さい石っころをけとばしながらまって居た。どっからか、ポーッといい香りがする、階子を下りて居るらしい。「おたえちゃんだ?」何と云う事はなしにフッと思った。そして白い足袋につつまれた足がせまい階子を下りて来る、あやぶげな様を思って「若しおっこったら!」こんな下らない心配におそわれて居た。ぽっくりの音をすぐそばでさせて、
「ようまってて御呉れやはった、わてキッともう御帰りやはったろうって云っとったやに――」
 お妙ちゃんはこんな事を云いながら石っころの多いところを高い下駄に長い着物を着て居ながら器用に歩いて居た。「今夜のよな時、いつまでもいつまでもおきて話して見たい様だ事」一人ごとともつかずにこんな事を云ったけれども御妙ちゃんは何とも云わないで白い足と手とかおだけ闇の中にホンノリとうき出さしてうつむき勝にあるいて居た。私は自分の家を通り越して御妙ちゃんを送りこんでから家にかえった――。こんな様なまるで恋中の様な日は毎日毎日つづいた。そして千羽鶴をおって糸を通す針で小指をついたんで母はんに紅絹《もみ》でつつんでもらったら友達が私に小指をきったんだろうって云われたなんかって云う事があった。一日一日と立つごとに私とお妙ちゃん雛勇はんとは段々仲がよくなるばっかりであった。お妙ちゃんの家に行きはじめてから二十日ほど立った日私はおひるをたべるとすぐいつもの格子の外にたった。いつも一番さきに通るあの眉の青い女房のところから何か云ってきかせて居る様な声がひびいて居る。「どうしたのかしら」私はきき耳をたてて居るとしばらくして云ったもう一つの声がどうしてもお妙ちゃんらしい。何と云うわけもなくただおびやかされた様な気になって私は身ぶるいをした、そして、あけようとしたのをそのまんまぬき足に一間位あるいてあとは一散走りに走って内にかけ込んでホーッと息をついて白い眼をして後をふりっかえった。その日一の[#「の」に「ママ」の注記]わだかまりのある情ない一寸の事でもすぐ涙をこぼしそうな日だった。翌日私はこらえきれなくなって早すぎると思いながらも出かけた。お妙ちゃんはもう起きて居た、手まねぎをするのでそのまんまいつもの二階に上った。どことなくいつもと変って陰気が目に見えて居る様な気をして私のかおを見るとだまったまんま、細いしなやかな首を私の肩にがっくりともたせかけてしまった。「どうして? 何かかなしい事があるの? 私にどうか出来る事ならするけど――」せまい額を見ながら斯う云った。「エエ、そんなに悲しい事でもないのやけどマア、こうなのや、きいてナ。□□[#「□□」に「(二字不
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