生活を営もうとすれば、方法などは、いくらもあると思われます。
第一、嘗て、小学校に教鞭を取って経験のある彼女は、何故又、小学校で女生徒のよい指導者にはなれないのでしょう。
よし又、教員として技量に自信を持たなければ家政婦としても、家事助手となっても、生きて行く道は数多あります。方法が見出し難いと云うのは、寧ろ自己弁護であるようにさえ思われました。詰り、良人に対する真心の愛は案外薄弱なもので結局第三の良人に赴こうとする前提として、一種の概念から発した口実ではあるまいかと思わずにはいられなかったのです。
私は、謹みながら、率直にその感じを話した。が彼女の困難と云うのは、私の理解したそれとは違っていたのが分りました。彼女の感じるのは、当面の生活を営んで行く方便の見出し難いことではなく日に日を消して行く間、いつか必然起る人生のいざという場合を予想すると共に心を解かさずには置かない、人心の頼り難さであったのです。
仮りに彼女が、或る家の家政婦と成ったと想像します。彼女は、きっと親切や勤勉を抽《ぬき》んじてその家の為に努力するでしょう。
然し、人間が何時病気にかからないと断言出来ましょう。若し、それが幸一月や二月位の病患ならば自身の貯蓄を費し尽しても、或は幾分かが雇主の負担と成るにしろ、全然耐ゆべからざるほどのことではないかもしれません。けれども、それが、幾年も幾年も継続する種々な重い慢性病の一つだったら如何でしょう。
これは、私自身の周囲を一目見ても判断はつきます。月々の月給を、適当に支給する丈《だけ》の資力はあり、全くの必要からでその人の助を期待している家庭では、心こそ同情に燃えながら、半歳の療養を完全に与えることさえ、実際には不可能なことです。
又たとい、如何程経済状態は良好であるにしろ、今日、そう云う階級に属すあらゆる人々が、彼等の被雇人に対して、全く彼我を忘れた愛で、十年十五年の医療費を提供すると思えるでしょうか。
死ぬにまで、苦々しい施恩と卑下に縛られなければならないと云う考えは、心を暗くします。
他人の世話に成らない為に、養老院と、慈善病院があるではないかと云う人が無くはありますまい。けれども、私共が自分自身を、その裡に置いて考え、感じた時、あそこは果して快い平安な最後の場所でしょうか。
家族制度によって、過去幾百年来、全然、子と呼ぶ者を持たな
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