い人間、全然、扶養される権利を主張しない老人のあることに馴れない一般は、まだまだそれ等の機関に「人の棲むべき」光明と魂とを与えていません。
 公平に云って、現在それ等は、避けたい場所でなければなりません。
 若し、貴女が真個に良人を愛し、その愛の為に自己を貫き度いと云うのなら、どこまで遣れるか、遣れる処まで突き進んで見たらよいではありませんか、たといその為に行倒れになったとしても本望でしょうと云う、言葉は燃え、壮《さか》んです。
 けれども、それが、全く生命を以て生きるのは、義人の魂の裡丈だと云うことを、私共は忘れてはなりません。
 十人の人は、皆、正しく生きたい本願を裡に潜めています。が、それと同時に、あらゆる地上的な幸福に手を延すことを制し得ません。
 どうにかして、正しく、且つ健に楽しく、生活は運転されて行かなければならないのです。
 私は、彼女の衷心の希望の対立を認めない訳には行きませんでした。真に良人を愛した者が、次の結婚を無感覚に事務的に取扱えないのは、本当の心持でしょう。それと共に、彼女が、出来る丈、人並より僅少に思われる幸福の割前を逃すまいとするのも、嘲笑するどころのことではありません。
 ここで、考えは、いや応なく、又、それならばどうしたらよいか、と云う基点まで逆戻りをしなければ成らなく成って仕舞ったのです。
 実際問題として、彼女も自分も共に満足する解決を見出すには、自分は余り無力でした。
 彼女は、今に必要な時気が来れば、きっと結婚することになりましょう、彼女に対して、自分は、幸福を祈る以外の言葉を持ち合わせません。
 人間の生活慾は、物凄い迄に強靭なものです。どうにかして彼女の一生は過ぎましょう――が……私共の考えるべきことはここで終ってよいのでしょうか。
 私は、是非もう一歩、進めたく思います。
 若し、我々が、人生を只食って生きて安わして行く為のみの実在と認めないならば、種々偶然的な境遇の力に支配されて、大切な人間の核心を失って行くものを、已を得ぬこととして傍観する自他の不誠実だけは、極力排けて行きたく思うのです。
 性格の或る傾向が内的動機となって対照との間に生ずる個人の運命は、全く運命で或る程度までは不可抗であり絶対です。けれども、境遇によって、人間の心が生かされ、殺されて行く場合には、疑なく他から加えらるべき何ものかがあると思います
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