はるかな道
――「くれない」について――
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)健気《けなげ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三八年十一月〕
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 今わたしの机の上に二冊の本が置かれている。一冊は最近中央公論社から出版された窪川稲子の初めての長篇小説と云うべき「くれない」である。もう一冊は、これもごく近く白水社から出た「キュリー夫人伝」である。この二冊の本は、それぞれに違ったものである。左方は名の示すように、世界の科学に大なる貢献をした婦人科学者の伝記であるし、一方は日本の婦人作家によって書かれた一つの小説である。だが、この種類のちがう二冊の本は、その相違にもかかわらず、今日の生活の下に現れて何と強力に我々の心に呼びかけて来ることだろう。二十世紀の社会というものが、それぞれ国土の違った、環境と習俗と専門の違った、従って生涯の過程も異っている女性の生活記録にも猶貫く一すじの血脈を感じさせるのは、感動的な事実である。私たちには次のことが実にはっきりと感じられる。
 若しキュリー夫人が「くれない」をよみ、その作者を知ったならば、彼女はきっと、その汚れない女性の心で、この作者のひたむきな心と苦悩とを理解したであろうと。同じ暦の下に歴史が展開されていても、海の彼方、海の此方では、歴史の内包している生活の諸条件が、特に社会における女の現実の立場について、非常にちがっている。広い客観の見とおし、そして人間の発展と進歩への道に立って「くれない」を見れば、女主人公、明子の苦悩と努力とは、とりも直さず、環境のおくれている多くの条件が重荷となって、合理的に、明るく輝しく生き伸びようとする意欲の桎梏となることから生じている。妻として母としてその上に更に作家として歴史の進歩に貢献して行こうと欲する現代の社会性ひろい、情感ゆたかに努力的な婦人が、日本の時代の空気の中で、周囲の重り、自身の内部に在る重り、愛する良人の内にある重りと、どのように交錯し合い、痛みつつ、まともに成長しようと健気《けなげ》にたたかっているか、その記録が「くれない」であると思う。
 この小説は、夫婦ともどもに一定の仕事をもって行く結婚生活、家庭生活について、又、それぞれ独立した社会的存在である夫妻が、仕事の上で互に影響し合う微妙な心
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