いのひとがあり、それぞれ家庭の友だちとなっているのもうれしい。
 二十五六歳ごろまで、私はどっちかというと友達のない淋しさをつよく感じながら生きていた。この十年ばかりは、友達の価値を全幅的に知りながらの生活である。そして、そのような十年ばかりの間に、古い昔のおだやかな友情にも、一味新たな内容が加えられて、どこやらゆたかに咲きかえった有様であることも、まことに興味ふかい。
 それに私は、境遇の関係からきっとよけい友だちを大切に感じるところもあるのだろう。仲間というもののよさ。男の人たちが終生仲間は離せなくて、漫画の親爺教育のジグスのあわれおかしき仲間恋いの心持は、もう私たちの心にももちものとなっているかと思う。
 家庭生活をやってゆく、仕事をしてゆく、その心持のバランスの一方が我も知らずに、仲間への心持のなかにおかれているようなところも、今日ではあながち男だけの心でもないらしい。栄さん、稲子さん、私、三人仲間がもっともっと年をとって、いろんな思いを互に経て、益々その老いて若き仲間ぶりを発揮したら、さぞや愉快なことであろうと思う。
 私たちぐらいの年ごろの者が友達について語るといえば、今日
前へ 次へ
全10ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング