にとらえた。レオナルド・ダ・ヴィンチにしても、ヨハネス・ケプラーにしても、決して歴史を過去のものとして実感せず、自身の業績のうちを明日の発展へ向って流れる時の感覚として自覚していたと思う。もちろん、どんな偉大な能力をもつ人でも、それぞれの時代の限界を全くとび越えた生きようはできない。ケプラーのような真摯な天文学者でも、彼の生きた時代の権力と宗教とが暗愚であったこと、彼の母親が魔法つかいとして宗教裁判に附されようとしたりして、そのために時間を費し、精力を費してたたかわなければならなかった。けれども、魔法つかいといわれた年老いた母の救いかたにおいて、宗教裁判とのたたかいかたにおいて、ケプラーのとった方法は、全く近代の科学者らしく実証的であり、科学的でその上行動的であった。ケプラーの伝記「偉大なる夢」をよんだすべての人々は、この点を感銘深くうけとっただろうと思う。母のために宗教裁判所とたたかったケプラーの科学者としての客観的実証的な方法と、堅実果敢だった態度とは、ほんとに人類的な学者というものが、その学問にたって正しさを貫くことから、社会歴史の強力な推進者として歴史の上にあらわれるものである
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