もの、それを水につけてはともからみよしまで丁寧に自分の可愛がっててやる馬に水をあびせる時のように、かるい心地のいい音を立てて水のしぶきをかがやかせながら洗い始めた。黄金の川面からブラッシについて落ちるしたたりは黄金のしずくのようで舟も又それと同じにかがやいて居る。黄金の舟に、黄金の水、はだかんぼうな赤鬼はその上を走り廻って居る。……まるで草紙の中の插絵のような有様を、海の色も空の様子も忘れはてて見入った。赤鬼はしばらくしてから船に腰をかけて煙草をのみながら歌をうたい出した。
「御ひょろたかアしまア、まこものーなアかでエ
あやーめさくとはー しおらしーい」
歌も古いし人も古いけれども、その歌だけは新しい力のある、いきな声である。川の面をすべって線路を越えて海のあっちの方ーへとんで行ってしまった。
その声にひきつられて自分の心もあっちの方へ行ってしまったが声の消えたと一緒になげかえされたようにはっきりした私は今更らしく、その美しい声を出した口のあんまりしわくちゃでつっぱいものをたべた時みたいにキューッとして居るのをびっくりした気持で見た。
御じいさんに見とれて居る内にすっかり日が落ちて、細いその上を指で一なでしたら消えてしまいそうな御月が、
「わたしゃ、もさっきっからここに居るのに」
と云ったようにものほしのわきにちゃんと見えて居た。
御台場はぼんやりかすみはじめて雲の山はうす紫に青い海は前よりもあおく、みちしお力づよさと、気持とがその一うねりの波間にもこもって遠い遠い沖の方から段々こっちにこっちにうねって来る。
芸人の子
「何んだ、高が芸人の子じゃあないか」
斯う云うひややかな情ない声が、まだ十二にほかならない長次の体をつつんで居た。学校に行っても二こと目には「芸人の子」が出かけていじめられて居てもたれ一人味方になって呉れる人もない中でまっさおなかおをして唇をかんでポロリポロリと涙をこぼして居るのを意地悪の子供達はまわりにたかってヤンヤとはやして居る事がたびたびあった。学校がひけてあとも見ずに大河端にある家の格子の内に入ってからそう云う時にかぎって「只今」もしないで二階に上ってピッシャリと障子をしめてしまう。それから思い出したようにいかにもくやしそうに肩をふるわして泣いて居る。なきじゃくりながら、
「何故生んで呉れたんだ、何故生んで呉れたんだ」
親をうらむようなことを度々云って居た。散々ないたあげく母親が弟子に稽古をつけて居る三味の音に気をとられて小声で合わせたりなんかして悲しさを忘れては、
「又あした」
こんな事を思うと急に暗いかげがさしてだまり込んで淋しいかおをして居るのがふだんであった。
其の日も下駄を格子の外と内にぬいで稽古をつけて居る母親なんかには目もくれずに二階に上ってしまった。
「又いじめられたんだ」
と思った母親は自分の子の不甲斐なさにはらは立ち又、そう云われてもしかたがない今の身の上を思うと不便[#「便」に「(ママ)」の注記]でもあり、こんなこんがらかった気持にすぐ撥をなげ出してしまいたいほど気が立って来た。
いいかげんに稽古をしまって母親はしのび足に二階にのぼってすきまから目だけでのぞくと筋がぬけたようなかたちをして手すりに頭をおっつけて午後のキラキラした川面をとんで居る都鳥の姿をなつかしそうに見て居た。
「キットなきつかれたんだよかわいそうに」
母親は一人ごとを云いながら障子をあけた。
長次はふりむきもしないで見入って居る。
「長ちゃん、どうおしだエ、何んか合わせてでも見ないかい」
何にもしらないようにこんな事を云った。
「母あちゃん」
長次はいかにもなさけなそうなしっとりとした声で云った。
「何だエ」
「アノネ、何故僕は芸人[#「芸人」に傍点]の子なんだろう」
「マア、何故って……妙な事をきく子だヨ、芸人の子なら芸人の子なんじゃあないか」
「古っから芸人の子って馬鹿にされるにきまってたんだろうか」
「そんな事がどこに有るもんかネ、正しい事ならどんな事をしたって馬鹿にされるっテエ事があるもんじゃあないノサ」
不雑作に云いのけてもこの上つっこんできかれたらと母親は気が気でなかった。
「でも明治の前までは乞食と同んなじだったって云うもん」
「そんなに御まえくどくど云ってるもんじゃあないのさ。古は昔、今は今、サネ、わかるだろう。もうこないだ御なくなりになった天皇様が御偉くって、偉くさえ有れば平民だろうが何だろうが立派にして下さるのさ、芸人だってそうさ、天皇様の御前であの福助と団十郎が安宅ヲシテ御目にかけた事だってあるじゃあないか、だもの……」
「僕になれるんかしら」
「なれるともネなれるともネ、一生懸命にさえすればどんなにでも偉くなれるもんだもの」
「母ちゃん、気やすめ
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