云うんじゃあないんかい」
 年にませたことをフイに云ったんで母親はハッとしたようにそのかおをしげしげと見て云った。
「気やすめ? そんなまわし気をするもんじゃあないよ。御前のかなしい事は私も同じほどかなしいんだから、サ、もうそんな事は云わずに何か合わせようネ、いい子だから」
 長次はまだわだかまりのあるようなかおをしてだまって居たが、
「ウン合わせよう」
 はっきりとした声で云ったので母親は身も心もかるくなったようにかけ下りて黄色いふくろに入った三味線を二梃もって来た。
「何にしよう」
 母親は指をなめながら云った。
 長次はしきりと撥を持ちかえて居たけど、
「はでなもん、なんか」
「越後獅子がいいよ、それじゃあ」
 長次と母親の手がサッとひらめくと「シャン」しまったさえた音は川面をかすめて向う岸の倉の屋根をかすめる、都鳥の白い翼にものる。母親は目をつぶってはぎれのいい手ぶりでスラスラといい音を出す。まだ小さい自分の子のたのもしい様子を見て五年前になくなったつれあいの事を思い出してどうしてもあの位にはしあげなくっては、と思って撥をにぎって居る小さい白い手を見つめた。
 二人は永い間何も彼も忘れたように弾いて居た。
 その日から長次はめっきり強くなった。けれども学校では同じ位にいじめられて居たけれども、
「何んだい、天子様の御前で弾いて見せるぞ」
 涙をこぼしながらそう云って居た。
 家にかえるとすぐ誰が居ても斯う云って居た。
「ネエ母ちゃん、芸人だって偉いんだネー、天子様の前でだって弾けるんだもの……」

     京の御人

「ついでがあんまっさかえ久しぶりで御邪魔しようと思ってます、先に御出やった時ややさんでおしたいとはんはさぞ大きゅう御なりやったろうなも、そいがたのしみやさかえ」
 こんなうちとけた手紙をよこした御まきさんと云う人は京は嵐山の傍は春の夢のように美くしいところに今年十六の一人娘とおだやかに不自由なく暮している人だ。生れは雪深い越後、雪国に美人が多いと云うためしにもれず若い時は何小町と云われたほどその美しさがかもしたいろいろの悲しいことや美しい話は今はきりさげの被衣姿の人の口からひとごとのようにはなされる事もたまにはある。娘も京の川水に産湯をつかっただけ有って牡丹のようなはでやかな姿とまあるいなめらかな声をもって育った人で理くつもこねず女学校にも上らず御かざりのようにしてある箱入娘だと云うことである。
 そんな事を思い合わせながら私達はまだ見たこともない人種が来でもするように、
「御めんやす」
と云う声をまって居た。
 一週間ほど立って久方ききなれない言葉に下女が目をまるくさせながら私達のまちもうけて居た御客さんが来た。すぐに茶の間に入って、
「はんまに久しぶりやなあ」
と相拶よりさきに云った。御まきさんのうしろに中振袖の絽の着物に厚板の白茶の帯を千鳥にむすんで唐人まげのあたまにつまみ細工の花ぐしを一っぱいさしてまっしろな御化粧に紅までさした御ムスメがだまって私のかわった不ぞうさのあたまを一生懸命に見て居た。その目つきと口元を見て、悪いとは思いながら「あんまり目から鼻にぬけるような人じゃあない」とまるで六十か七十の人のような気持でこんな事を思った。
 母とおまきさんとはだれでもがするようにこめつきばったをやって居る。
「ほんまに年ばかり大きゅうてからややさまやさかえ」
 こんな事をつけたしにして母にその娘をひき合わせた。重そうな頭をそうっとさげてまっかなかおをした様子を私はつくづくと見て居た。
「サ、百合ちゃんおぼえておいでかい、もう忘れてしまったんだろうけれど、この方が御まきさん、あなたは――御仙さんて御っしゃいましたっけか?」
 娘さんにきくと合点をしたんで、
「ほんとうにうちのは御てんで困るんですよ、何も出来ないくせに理くつばかりこねて」
 私のあんまりうれしくない前おきをされてからあわてて御じぎをした、もうこれで五度か六度した。
 私はしたしい人のうちに来て口もきかず合点をしたりイヤイヤをしたりばかりして居るお仙さんをあやつり人形を見るような生きたのでないような気持で見て居た。それで一寸もうれしいとかなつかしいとか云う気はおこらずにめずらしい大きな人形を見る通りにただその大きく結った髪や千鳥の帯や長い袖を見て居た。
「何ぞあそばしちゃってちょうだい、あねさまごとも千世がみをきるのも大すきやさかえ」
 御まきさんは母のはなしの間にこんなことを云った。
「エエ」そう云ってあとはつっかえてしまった。
 私はもう五六年さきにあねさまごとも千世がみきりもしてしまって今はその御なごりもなくなってしまった。
「母様、どうしてあそびましょうネー千代がみもままごとの道具も御ひなさまのよりほかもってないんですもの」
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