それで居て勢よく二十本ばかりはスックとそろって出た。
 いつだったか掃除の時に抜こうとしたのだけれども一寸ほんとに一寸出て居る葉が青びろうどのようにフックリと厚く可愛気の有る葉だったもんでそのまんまのこして置いたのが花をもった草なのである。その花は白粉の花に似て女らしいしおらしい花である。色は白紅淡紅でさし渡しは五分位、白い花のまん中に一寸と茶色の紋があるのなんかはものずきな御嬢さんが見つけたらキッとつまないではおかないほど人なつっこい花である。
「どうして生えたんだろう。誰がまいたとも分らないのに……」
「一人手にたねがとんで来たんでしょうキット……」
「そんな筈は有るもんですか。とんで来たんならあんなにチャンとならんで生えてなんて居るもんですか貴方」
 こんな事を云い合って分らないに知れきったことで頭をなやまして居る内に花はみんな咲ききって七日ばかり立った。
 誰云うとなく、その内に、あの花の蕊には昼でも夜でもキット一匹小さい茶色の羽虫が棲んで居る、どの花にでも……
と云うものが出来た。大事件のもち上ったようにさわぎ立てた。
 年とった人なんかは、
「まかないものが生えるなんて、それでさえ一寸妙だのに……
 それに違いないきっと魔がさしたんだ」
なんかと云ってその日は常よりも読経の時を長くし御線香も倍ほどあげたりして居た。
 夜から私達は庭に出る度にキットこの花の中をのぞいてばかり居た。その中に小さい子供が風流熱にかかったりしたんでだれもかれも申し合わせたように花の事なんかは忘れて居た。ひょっと何と云う事なしにきづいて今日花を見るとその小さい可愛い花はみんなしぼんでしまって居た。
「オヤもうしぼんでしまった……そうそうあの虫はどうしたろうかしらん」
 こんな事を云ってはじから御丁寧にようじのさきでしぼんだ花の中を一つ一つのぞいて見たけれども一つでおしまいになると云うまで虫は入って居なかった。
「とうとう居ないのかもしれない」
 こんな事を思いながら御土産のつづらをあけるようにそっとようじのさきでひらいて見ると思いがけなく茶色の小虫はころっとなって入って居た。
 私はみ入られたようにいつまでもこれを見て居た。
 イキなり、ほんとにいきなり小虫はからだに似合わない強い力のこもった羽音をたてて人を馬鹿にしたように青空にとんでってしまった。
 私は生きながら花にとらわれて居た羽虫ときっと一匹ずつの羽虫の御宿をして居た花とは前の世からキッシリと何かの糸で結いつけられて居たんじゃあないかと思われた。

     埋立地にて

 私は、私の見たがらないいろんなきたないまわりのものをなるたけ目に入れないようにと両手で頬をおさえて左と右に見えるほしもの台やそこにかかって居る着物の色なんかを見えなくした。
 そして、ひろく、はてしもなくある内海の青い色と御台場の草のみどりと白い山のような雲と、そうした気持の好いものばかりを一生県命に見つめて居る。私の目の力がいつにもまして強くなったように、向ーに、ちょっピリとうかんで居る白帆から御台場の端に人間が立って居るのまで見える。涼しい風は夕暮の色をはらんで沖から流れる潮にのって来る。「何ていいきもちなんだろう」私は大きい声で云ったら、このおだやかさとしずかさのいい気持がとんで行っちまわないかと思われた。それで小さい自分にだけきこえる声で云った。
 まっさおの海の中に謎のようにある御台場のあの青草の中には蕾をもってるのも有るだろうし小っぽけな花のあるのも有るんだろう、キット。行って見たい事、前にもやしてある小舟を見てそう思いながらあのはじっこに坐って波のささやきと草の香りにつつまれて歌でもうたったらまあどんなに。
 私の頭ん中にはいろんなとりとめもない空想やうれしさがわき上った。白帆が一分動いたと見ると御台場の草の色がちがって半分は黒っぽく半分は前よりもみどりになって雲の山はくずれて帯を渡したよう。帯が又きれぎれに人の形になった時には、白帆はもう見えずに汽船の煙が御婆さんの帯の色をして棚引き御台場はすっかり青く、私の居るところにはうすいかげが出来る……
 こんな変りの多い、大きい、とりすましたような又不邪気な海の中に自分もとけ込んだように波が一つゆれれば自分も一つ、あっちが二つうごけば自分も二ついろんな事がみんな私と一緒に動いて居るように思われた。
 私はいつにない、華な水色のような心持で越後獅子のうたをうたった。長い振の着物を着て黒い髪を桃割にでも結って居る娘のような気持で……
 見ている内にいかにも夕暮らしい日光になって来た。いつの間にか前の川、鉄道の線一つを海からはなれて居る川に年とった船頭の舟が入った。入日の光をあびて赤鬼のようになった爺は舟の底から掃除の道具をとり出した。大きなブラッシのような
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