が気でないながらも私は、
「あのいつものが咲くまで私はほかのを植えずにまってよう、若しも出た時にすまないような気がするから」
こんな事を思いながら一日に一度は垣根のわきの柔な黒土のこまかなきめを見て居た。まっくらな土の香の高い水気の多い土面の下の中に一寸出て居る乳色の芽生えを想像して私は土上に出た芽生えに向けるような喜のみちた希望のあるほほ笑みを黒土の上になげて居た。
私は若しやあの暗い中で乳色の糸のような芽生がそのまま朽ちてるんじゃあないかとも、だれかうっかりものが掃除の時にするどいくわのさきでスッパリと思いきりよく殺してしまったんじゃないかとも思いまわして不安心な日を垣根の黒土を見ては送って居た。
今日、ほんとうに今日私は思いがけなくいつもの黒土の上にみどりの水々しい朝顔の二葉がうれしそうに若々しく勇ましく生えて居た。
「オヤ」
初めて見つけた時私はうれしさとおどろきのまざった小さなふるえ声で叫んだ。
「よくまア」
その二葉を地面にひざまずいて頬ずりしかねないほどのなつかしみをもってしげしげと見つめながらそう云った。心の中で私が先に云った「人間には想像もおよばないほどの偉い生活力が有るんですっから」と云ったことの目の前にあらわれて来たと云う事もうれしいと云う事の一部を占めて居た。
「マア一寸、あのあれが出たんですよ、一寸ほんとうに」
統一のつかない言葉をつづけざまに口から吐いた私は又ひっかえして黒土の前にしゃがんだ。
「よくマア、ほんとうによくマア出て御呉れだったネー、まってたんだもの、御前だって分るだろう、さかりの今日になってさえ別のを買わずに御前一人をまってたんだものネー、ほんとうにうれしい心から」
人間の言葉の通じるものに云うように私はこう小さいしおらしげな声で云った。
私はそのやさしい芽生えの返事をききたいといつまでもそこに坐ってたけど何とも云って呉れなかった。ただ、そのしなやかな細かい細胞をながれてうるおして居る色のない血液のそのくっくっと云って居る鼓動と私の赤い、あったかい同じような細胞全体をうるおしてる血液の鼓動とがピッタリと一つもののようにしずかにドキンドキンと波うって居るのを感じた。
初めてもった財布
生れて始めて財布と云うものをあずけられた新吉はやっとかぞえ年で六つになったばかりである。着物の上からも小さくふくれて居る黄色の大黒さまのついた袋をソーッとなでた。目の前には少し黒味のかかった十銭丸二つと其よりも一寸大きい二十銭一つがかわりばんこにおどりをおどって居る。人に会うたんびにそのふところをはり出して「おれは財布をもってるんだ、偉かろう?」と云って見たかった。
「無駄づかいしなさんなよ」と銭を渡す時に云った母親の声を思い出してとまりかけたおもチャ屋の前を早足にすぎた。それと一緒に「何を買ったら無駄づかいじゃあないのかしら」と云う事が大学ノ入学試験よりもむずかしかろうと思われるまでに考えられて来た。
「本にしようかお菓子にしようかそれともおもちゃにしてしまおうか」
これだけの事がごっちゃになってその小っぽけな毛のうすい頭を行ききした。
新吉はこう思った。
「おれは今まで洋かんを一さおたべた事がないんだからそうしよう」
安心したように菓子屋の前で[#「前で」に「(ママ)」の注記]歩いた、そこには大人のしかも年とったお客さんが来て居た。
「ヨーカン一さおなんて……『おいやしな子だ』って云やしないかしら」
斯う思うとその人達が自分のふところに入って居るものを知って居て十銭玉の黒いのまでが見えてるんじゃあないかと思われて来た。そこを又居たたまれないように歩き出した。おもちゃも何を買っていいかわからなくなってしまった。本も店先からのぞいた所では自分にわかりそうなものがない。
「己はいったい何を買うんだろう」
新吉は泣き出しそうな声でそうつぶやいた。落っことしそうでたまらなくなったんでふところを両手でかかえた。どうにも斯うにもしようのないようになってかけ出した新吉は人につきあたるのもかまわずひた走りに走って家にかけあがった。真赤なかおをしてハアハア云って居る様子を見て、
「マアどうしたんだい、またけんかをしてまけたんかい」いくじなしだネーって云うように母親は云った。新吉は首をふって、
「違わア何かっていいんかわからなくってにげて来たんだい」
けんか口調で母親をどなりつけて大声あげてなき出してしまった。
母親が笑うたんびに「何かっていいんかわからなかったんだ」とどなりながらふところをおさえていつまでもいつまでもないて居た。
名無草と茶色の羽虫
いつまいたとも知れない種が芽を出した。そして花を持った。
草っぱらのすみっこにおしつけられたようになって……
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