できる郁達夫はビルマの辺鄙な村にかくれて戦禍をさけていた。遂にそこへも日本軍が侵入して来た。或る日、往来で土地の住民が虐殺されかかっているのを見て、郁達夫の唇から思わず日本語がほとばしった。土地の住民の命はそのために救われ、郁達夫は、その日本語のため、侵略軍のために働かされることとなった。一九四五年八月が来てその土地の憲兵隊が敗退してひきあげるとき彼等は郁達夫に日本語がわかり、彼等の侵略行動の目撃者、戦犯の証人であるということを恐怖した。彼等は郁達夫を殺した。
 郁達夫の物語は、わたしたちにジャンバルジャンを思い出させ、レマルクの「凱旋門」の主人公ラヴィックが人間らしくまた医者らしい咄嗟の行動で往来の負傷者を救ったことからパリを逃れなければならなかった情景を思い起させる。
 中里恒子氏の「マリアンヌ」その他の小説をよんだ人は、ファシズムの日本で国際結婚をして日本に来ていた外国の男女の人々、その混血児たちの生活がどんなに苦しく、非人間的であったかを十分想像するだろう。上品に語られずにいる苦しさを思いやると肌の粟だつ思いがする。またシュールの画家岡本太郎氏のように、十五六歳からの十余年をパ
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