は、まだ根本から、民主化されきっていず、官僚的だったり、半封建的だったりするため、そして外国生活をした本人そのひとの気分にそういうものがのこっているところもあって、その人の権威は単純にその職域で見聞と経験のひろい人というだけでなくなって来る。自分として「偉くなったようで」あろうし、また偉くなったような位置におかれ、民主的な要素の少い社会ではどうしてもそのことが、支配的権力の側にひき入れられやすくしている。
この実際は、朝鮮がもと日本の植民地だったときの事情をみればよくわかる。日本語を強制された朝鮮人民の生活の中で、日本語が話せ、日本字のかける朝鮮人が、総督府の官吏になり、巡査になり、収税吏になって、今日になってみれば、同胞の自由を抑え搾る仕事に協力していた。しかし当時、朝鮮で権力をもっていた日本官吏や事業家は、その朝鮮人が日本語を話すという便利さから、何か特権めいた扱いかたをした。その国の人民生活にほんとの独立とそれによる国際性のない場合、一つの外国語を知っているということが、その人を屈辱的な存在とすることがわかる。
中国の作家郁達夫の死は、またちがった一つの悲劇であった。日本語の
前へ
次へ
全19ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング