って九月にはいってから動揺しはじめ、加速度的にその動揺がつよまって、他の被告たちとの共同正犯を主張する態度にかわって行った。そして十月二十四日、五日と月末の二度に八王子地検の相川判事によって他被告との関係について「宣誓の上供述して」それを調書にとられた。第一回公判をひかえた十一月二日に竹内被告は、思想を異にする弁護人を希望しないという理由で自由法曹団の人々をことわった。十一月四日の公判廷に鍛冶、丁野、栗林の三弁護士を選任して出廷した竹内被告は、三ヵ月ぶりに職場仲間の顔を見、その一人一人が立って、口々に検事の不当な取調べぶりを詳述して公訴取下げを要求するのをきいたとき、自身のうけた取調べにつき、自身のおかれた立場につき、何かの感想をもたずにはいられなかったろう。
 読売新聞は十一月十五日、ほとんど三面全部をつかって、「無人電車暴走の全貌」「自供、あやまてりわが労働運動、人間竹内の上申書」「横谷にそそのかされ二人で運転台へ」といういわゆる上申書の内容を公表した。
「私は実は十一月四日の第一回公判廷において、自分がどの線でゆくのが真実なのか、非常に悩みました。自分が無罪なのか。単独か、共同かという三つのどれもが記憶において錯綜していたからです。」
 読者に奇異の感を与えるそのような冒頭の文句ではじまる、長文の上申書の終りは、かつての転向上申書の書式を思わせ、共産党への罵倒と「いかなる罰も天命であって人智のなすべからざるところと。そして後、新たなる魂をもって邦家のために生き抜こうと決心しています。未だに過去の労働運動(特に国鉄)をもって喋々するものがあるならば、それらは徒に事を構えて能事終れりとなす階級であって、かようなことはいわゆる革命家に任せておけばよいと考える。今や己の愚を悔るのみです」と結ばれている。そして竹内被告が書いたその上申書の冒頭に語られている錯交した本人の心理に似合わず鮮明、詳細な、現場見取図というものが、番号入りでのっているのである。
 十一月十八日の第二回公判をひかえて、竹内被告の上申書は読売新聞独特の特色を発揮して出来るだけセンセーショナルに扱われたのであったが、翌十六日の朝の毎日新聞には「謎包む二つの手記」「変転する竹内被告の心境」というまた別の記事があらわれた。竹内被告は十一月十五日午後、栗林弁護士と府中刑務所で面会したとき、「私がさきに上申書で
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