には関係ないといいましたが、それはウソで、じつは私が電車を走らせたのです」それに対して、今野弁護人が質問した。「それでは先日、なぜウソをいったのですか。」答「私は飯田さんたちがすぐ釈放され、私もかくしとおしておけると信じてましたから、がんばろうと思ってウソをいったのです。ところがこの事件はまったく私一人でやったことで、誰とも相談していないのに、田中検事さんや平山検事さんは八月十五日ごろからと思いますが」横谷、外山そのほか四人も五人もが、謀議に参加したと本人がのべていると「何日も何日も、くりかえしくりかえし夜おそくまでせめたてましたので、私は、絶対にそれらの人たちと一緒にやった事実はなく、田中検事さんの取調べは、強引で、謀議一方におしつけようとするので、このような取調べを横谷たちがうけてたえられなくなって」「私がかくしとおすことによって、罪のない人たちが無実の罪におとしいれられては大変だ、この際正直にいってしまわなければと決心し、たしか本月二十日の夜九時ごろから平山検事に、くわしく話しました。なお、平山検事さんらは『いくら否認しても、新刑事訴訟法では認定で罰することができる。この事件には外山、田代、伊藤、清水も――あとから飯田も共同謀議に参加している』といいました。これはまったく事実でないことですが、しかし」「証拠がなくても認定できるといわれると」「何もやっていない横谷やほかの人たちまで無実の罪をきせられるようなことがあっては、なんとしても申しわけなく、それを考えるといても立ってもいられなくなったのです。」そういって竹内被告は、七月十五日事件当夜のてんまつを詳しく語った。「まったく単純な労働者の怒りを見せて、当局を反省させてやろうという気持と、電車を動けなくすれば全国的なストに入り、当局もかならずまけるにちがいないと信じてやったのですが、あんな悲惨な結果がわかっていたら、もちろんするはずはなかったのです」「私は運転手を五、六年した経験で、あの電車は当時の状況からみて、『一たん停止』の辺で脱線すると信じ、本線その他に危害がおこるとは考えていませんでした。」この面会で、竹内被告は一人の労働者として、また妻の心を思いやり、五人の子供たちの将来を考えると良人、父親として切ないこころのうちを告げた。(岡村弁護人の筆記による)
しかし、竹内被告は、神崎、相川両検事の働きかけによ
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