ホックをかけた。
 門燈に照し出された下だけに杜若が鮮やかな色を見せている、その小橋の際まで送って出た細君に、お茂登はくれぐれも礼をのべ、自分のたべた弁当の代をおいてその家を出た。
 ひっそりとしているようであったが、外へ出て見ればまだ宵の口で、幾組もの兵隊が砂利を鳴らして行き来している。母親と並んでいた源一も、やがて後から来かかった一かたまりと薄暗がりの裡で合流した。
 やっと足元の見えるような暗いところを相当行った。つき当りの大通りの灯が見えて来て、ちょっとした広場のようになった角に、飾窓の明るい文房具屋とタバコ屋とを兼ねた店がある。折から一台がら空きのバスがその広場へ入って来て、方向転換をはじめた。女車掌だけが地べたへ降りて、後部を見ながらオーライ・オーライと合図をしている。お茂登はそれを見ると急に遽しい気になって、洋傘を包みと一緒の手に持ちかえながら、半ばは角の店の横にかたまっている源一の方へふりかえりながら、高声で、
「この車が駅へ行くんだろうか、え?」
と訊いた。自分への質問と思いちがえた女車掌は、疲れたぞんざいさをかくそうとせず、
「お乗りはあっちから願います。停留場はあ
前へ 次へ
全30ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング