え、律儀な信造の一家をも激しく動揺させていた。旋盤をやっている十八の長男が、今通っているところを四日ばかり風邪ということにして休んで、汽車で四五時間はなれた町のある工場へ様子見に行った。その留守に、いま勤めている工場の主任がわざわざ家へやって来て、いちどきに二十銭日給をあげて行った。本当と思えない話が現実にあった。そして、人々の心は落付き場を失った。
 丁度、梅雨の時分、次第に白く光って松林のこっちの水がふえて来るのを軒下から見ていたときのような気持で、お茂登はぐるりの暮しの動きに目を凝していた。散髪屋の二男が自動車の免状をとってトラックをやるつもりだそうだという噂をきいたとき、お茂登の頭に閃いたのは、二人の息子がいなくなってしまった後の閉めっぱなしになった自分たちの店の車庫のがらんとした姿であった。涙とも云えない涙が目頭に滲んだ。
「碌さん、本当にやる気だろか」
 広治は、窮屈そうにおっ立て尻をして新聞の上にかがみこんだまま、
「さあ……」
と云ったぎり黙っている。然し、いい気持でなくその話をきいていることは、広治のどこやらむっと口をつぐんでいる若者らしい横顔に見えている。
「マア、
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