人々がうけもつという仕組みにされた。つまり、クラブの発起人であった人々は、執筆者としての関係におかれ、クラブの実務者である櫛田ふきさんが名目上の編輯人であった。
婦人民主新聞の編輯局は、銀座裏の中部日本の一部におかれた。そしてなんとなくこれでいいのかしらと思うような出発をはじめた。婦人民主クラブはまだやっとヒヨッコのあゆみだし、新聞が特別な性質のものである上に用紙の制限その他の理由で一躍商業新聞と競争してゆけようとも思えない。だけれども事務所へ来てみると六、七人の男の人がぞっくりとつめていて、それぞれに家族もあるだろうのにどうしてやってゆけるだろう。いかにもそこが不安だった。日本の民主化、婦人の民主化。これは何年もかかる歴史的な仕事である。一時「感激」がどんなにはげしくても、そして、その「感激」をわけあう男の人たちが数人集ったにしろ、仕事そのもののじみな本質は必ず経済問題にぶつからずにはすまない。その現実はどう解かれてゆくのだろう。これこそみんなの不安であった。
いよいよ八月二十六日、週刊『婦人民主新聞』がおくり出されることになった。名目上の編輯人である櫛田ふきさんの活動は、不思議
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