その人の四年間
――婦人民主クラブの生い立ちと櫛田ふきさん――
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)[#地付き]〔一九五〇年三―四月〕
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          一

 一九四三年だったかそれともその翌年だったか、ある夏のことであった。ある晩わたしは、中野鷺宮の壺井栄さんの家の縁側ですずんでいた。そのころ、わたしにとって栄さんの家は生活の上になくてはならない休みどころであった。手拭の新しいので縫った小さい米袋に、ひとにぎりの米を入れ、なにかありあわせたおかずがあればそれも買物籠に入れて栄さんのところに出かけた。そして栄さんの家族にまじって賑やかな、それでいてしっとりした御飯をたべさせてもらい、大抵の時はそのまま腰がぬけて泊めてもらった。それはわたしの「里がえり」とか「やぶ入り」とかいう名がついていた。
 その晩もやっぱりそういう「里がえり」の一日であったのだろうと思う。縁側で涼しい風にあたっている時、栄さんが、もしかしたらいまに櫛田さんがくるかもしれませんよといった。わたしはその人が誰だか知らなかったし、おちあったこともなかった。その頃栄さんは、若い婦人のためのある雑誌に連載小説をかいていた。その雑誌の編輯者が櫛田ふきさんというその人であった。本当は今日原稿をわたす約束だったのだけれども、何しろこのありさまでね、と栄さんはすっかり筋をぬいてそこにたぐまっているわたしを見て笑った。わたしも笑って、いいことよ。わたしが実物証明をしてあげるから、あなたの小説が書けなかったわけは、これだけかさばった証明があれば許してくれるわよ、などといっていたときに、玄関で、ごめんなさいという元気なはりのある声がした。つづいてあがってもよくてというなり、もうその足音は廊下をつたわってきた。
 わたしはふざけて、そら来たといってあやまる仕度に坐りなおした。そこへ小柄な中年の女の人と二十四、五の若々しい人とがつれだって入ってきた。入ってきた人は、知らない人がいたので、あら、ごめんなさい、いきなり入って来てしまって、とふすまぎわに立ちどまった。栄さんが櫛田ふきさんと娘さん、わたしとを紹介した。
 このようにして櫛田さんとわたしとは初対面した。やがてわれわれみんなの間に新しい友情や仕事がもたらされるということについ
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