閣のファシズムと戦争への危険をむきだした政策。これらの三つの要素がからみあって、民主的文化運動の一部に、あおり[#「あおり」に傍点]が生じている。わたしたちは、リアリスティックに、この点を見きわめる必要があると思う。「文学サークルの現状に対して」という投書にもあらわれているように、労働者、小市民勤労者、農民、革命的インテリゲンツィアとしての学生までを、「勤労者文学」にこめて考えていても、生活の動きはきびしいから、でこぼこはひどくなる。労働者の文学は、プロレタリアートの文学として前衛の文学までをふくむが、「勤労者」をその線へ一括することは無理だし、小市民作家を、もと同伴者作家と見たように「吸収し[#「吸収し」に傍点]、手をつなぐ」ものとしてみることにも無理がある。それぞれのもちもの(文学的伝統をふくんで)を生かして、その上での前進を、共通の重点をとおして見てゆくという複雑さをおそれない方法がとられないと、それはゆたかに縦横むじんに育たない。いまのところやせている民主文学が、ぐっとのびるモメントは、ここにあると思えるのである。
 第二回文化会議で報告されているように、職場の文化活動サークル
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