などはすでにいろいろ困難に面し、とくに、組合が反民主的勢力に占められているとき、サークルの動きは、微妙である、というような課題が生じている。この際、一年前どおりの「勤労者文学」の考えかたのまま先へつづけると、そのある部分が思いもかけない左へゆきすぎて、うまいこと民主戦線分裂の挑発にのせられまいものでもない。サークルが昔の悲劇をくりかえしたり、文化団体の独自な活動が組合の宣・教に解消され、「文学は政治に従属する、」という言葉の、しごく粗雑な理解が、民主主義文学運動をこんらんさせないものでもない。『文化革命』第二号をよんだひとは、この注目が、根拠をもたないものではないことを理解されるだろう。わたしたちは、自分たちの運動そのものも発展的なリアリズムでつかむべきだと思う。『大衆クラブ』で菊田一夫と徳永直の間に往復された手紙をよんだ。そして徳永直が、民主的運動におけるインテリゲンツィアと労働者との連帯性について前進的に、客観的に語っているのをよんだ。そのことからも「勤労者文学」がさらに複雑でまた統一的な民主主義文学運動のうちにつよく展開する可能が感じられる。はっきり労働者の文学として、ふっきる部
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