ルの活動も、いろいろの問題を重ねて来ている。職場のサークルが、小説を書く人中心になりがちで、そのほかのサークル員の吸収をはばんでいるということが注目されて、新日本文学会は、文学の愛好者の意味を見直すように提案している。文連の第二回「文化会議」のサークルに関する懇談会記事に云われているとおり、読むことによって成長させられてゆく面はゆるがせにできない。サークルの文学愛好家たちを、その範囲で高めてゆくことはもとより必要である。けれども文学の面では愛好家と云われる人の間にブルジョア風な文学趣味[#「文学趣味」に傍点]がかなり浸透しているとき、民主主義の方向における批評のよりどころがはっきりつかまれていなかったら、愛好家たちが文学愛好そのものから変革された階級的人生に入ってゆく可能が、どういう風に予想されるだろう。文学サークルが組合の教・宣部の活動と歩調をそろえていないというあちこちにある現象の一半の理由は、これまでサークルに集る人々の文学的欲求を、ブルジョア文学の伝統的な文学[#「文学」に傍点]の形態にはめて、考えていた古さ、せまさもあると思える。小説、さもなければルポルタージュ。これまでは、
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