、考えかたをしめし、現実を示すものでないのなら、文学が「人生の教師」たり得るわけはなくなる。文学作品は、一生小説を書くことのないおどろくべき数の人々によってよまれている。その人々は、小説の「見本」をさがしてはいない。鈴木茂正が云っているとおり「どういう風に生きてゆくか」ということを、自分にはっきりさせたい、わかりたい。それを知って自分の人生に評価を発見したくて、読むのであると思う。
民主的な文学のなかでも前進する歴史の第一列に立つ労働者階級の文学が「どういう風に生きてゆくか」に出発して、しかもその全階級の課題の遂行のうちに、その人個々の複雑な成長発展の解決もふくめている場合、民主的文学のひな型として「見本」のあらわれるのを待つ観念は、ある危険をふくんでいる。なぜなら、もう日本の民主化の第一歩は、勤労者階級が半封建的な軍国主義的な支配階級の思想体系――文化の影響から、自分の階級の生活感情、理性の全部を解放し、新しい形であらわれて来ているファシズムとたたかう方向においてふみだされた。ここにおいて必要なのは、現実から鋭く具体的に何を学んでゆくかという、その学ぶ方法、発見し、うちたててゆく積
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