の創作の方法、文学的な美および善とされているものの性質、それらを作品の生きている感銘そのものにおいて分析、綜合して、より新しいより多面な創造の養いとしてゆく、その過程においてこそ、一つの文学の勉強がある。古典の再認識にあたって、また現代の文学作品の評価にあたって、民主主義文学としての評価の客観的基準が求められるわけはここにある。そのまま真似ができないということから云えば、ゴーリキイのどんなすぐれた作品にしろ「見本」ではない。けれども、その作品の世界に描かれている社会的・階級的現実の本質を理解し、作品においてその本質の細部を感覚にうけとれるものとして実在させている描写の方法やその特質を理解して、自分の描こうとしている作品への参考としてゆく意味では、こんにち、現れている数人の民主主義作家の作品も、それぞれに学ぶべきものをもっているのである。
『勤労者文学作品集』二冊は、商業雑誌の「新人号」二冊と同じ歴史的意義しかないものだろうか。「泡沫の記録」「妻よねむれ」「播州平野」その他は、民主的文学以外のどこに、生れ得る作品だろう。文学作品がそういう風に、同時代に生きているものとして生きかたをしめし
前へ 次へ
全31ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング