い。」それを書かないで「本当のストライキの情勢はかけない。そういう風になってくるからなかなか書けない。」「実際経験して分っていても、感情とか意識というものが、そこまで発達していないために書くことができない」といわれているのである。これはがんみ[#「がんみ」に傍点]しなければならない言葉である。
 最近二、三年のあいだに、五〇〇万人の労働者が組織されて画期的な闘争が経験された。積極的にそれらの経験をした人の中から、こんにちこの言葉が実感をもっていわれているのは、労働者の文学がただ政治・経済闘争の反映だけでは足りないと自覚されてきているという大きな内容的前進を語っている。同時に、一人の労働者が階級社会の中で民主的労働者として成長してゆく人間変革の過程が、どんなに複雑なものであり、一定の時間を必要とするものであるかという証拠である。こんにち、吉田が語るようなギャップが感じられるのは、経験された闘争の過程そのもののうちから、労働者として階級的な人間成長の実感が育てられるような政治的・文化的モメントがひきだされなかったこと――経済主義的な傾きがよりつよく支配していたこと。ならびに民主主義文学運動
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