断されないために。人民別、専門別、職域別、都会対地方とセクト的な感情を利用されて孤立させられる危険を克服するために。
「労働者階級の意識は、たとえそれが如何なる[#「如何なる」に傍点]階級に関係したことであろうとも、恣意と圧制、暴力と濫用が行われたときは、いついかなる場合[#「いついかなる場合」に傍点]にも黙過しないようにならされているのでなければ、真に政治的な意識ではない」(レーニン・何を為すべきか)ということは、民主主義とその文学達成の基本となる意識であり感情であると思う。民主主義の精神と行動は単に「労働者の方へ行け」と云って満足することではなく、すべての階級のなかへはいってゆき、階級間のあらゆる相互的な関係のなかから、民主革命のモメントをとらえる能力でなければならないだろう。民主主義文学運動についての理解も全く同様だと思う。
プロレタリア文学運動時代からの発展として、文学運動全体としての性格とその中の主導的要因としての労働者階級の文学が、はっきりさせられる時が来ている。
こう考えて来ると、もういつの間にかこれまでの形での「勤労者文学」の柵はふみこえられてしまっている。でも、それでいいのではないだろうか。
現在見えているいろいろの問題の性質と大会報告の印象から、わたしは、飾りけなくまた他意のない提案として、「勤労者文学」という柵を発展的にどけて、はっきりした歴史的使命をもつ労働者階級の文学を押し出して欲しい。そのことによって、民主主義文学全体としての関係をも正しく位置づけ発展させることができるのではないか。インテリゲンツィアをどけて、今、働いている人々、中小商工業者、学生などという社会階層の姿、即「勤労者」とする柵は現象的であったし、あいまいでもある。
新しいファシズムに対して、どんな形で平和へのたたかいがはじまっているかということをみてもこの要求は自然である。革命的小市民の立場の作家から、もっとひろがって、進歩的、良心的作家までが、生活の剥奪と戦争への反対のために立っている。それゆえにこそ、狭くなった「勤労者文学」の柵はどけられて、よりつよくはっきりと労働者階級の文学の主導的な性格が押し出される必要がある。そのことによって、かえってのびのびと人民各層の文学的発言の可能が為されるだろう。
中国の人民の勝利。国内の民主勢力の増大。それに対して第三次吉田内
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