ことは間違いであるが」、文学サークルは、その独自性を守って指導されるべきものであろうと提案した。
 この提案に対して、幾人かの人が手をあげた。討論の中心は、文学サークルが経済・政治闘争と無縁であり得ないという点と新日本文学会の指導のもとにおかれるべきかどうかという点にむけられた。もし経済・政治闘争と無関係であり得ないということを肯定するならば、結局プロレタリア文学運動時代のサークルに戻ってしまうのではないかという質問が、いくつかの角度からだされた。そしてそれらの質問者は、発言に当って現に自分が労働者の中にあって文学指導をしている経験からおして、と前置きしていた。提案をうけもったわたしは、サークルと職場、組合などとの連繋は機械的には考えられない、政党や組合の活動が自由になったこんにちでは、そこに労働者のもっている文学能力がそのものとして役立てられる可能が見出されるだろうと答えた。こんにち新日本文学会で活動している当日の発言者は、四年昔をかえりみて歴史の足どりの速さにおどろかれるだろう。

        三 展開のみとおし

 第四回新日本文学会の大会は、第三回にくらべると、すべての点でより全運動の見地から報告討論されたらしく思える。(わたしは病気で欠席し、最後の日の数時間出席したばかりであったが)しかし、「勤労者文学」のことは、前大会での提案者徳永直の報告に一任されている。「民主主義文学運動についての報告」(岩上順一)の、最後の部分「日本民主主義運動の深まりやはげしさを強力に反映する創造や批評の活動につきすすむ」必要、「全人民の民主化運動のなかに成長しはじめている」「市民層知識層の活動もけっして見のがされてはならない」という部分と、そのためには「勤労者文学」について新しく大きい見かたが緊急に必要ではないかという点とが、かみ合わされていない。勤労者文学対策の強化、作品指導キカンの設置、講座、学校、入門書の発行、などがあげられているだけで、きょうの段階では、どうしても「勤労者文学」という規定そのものが見直されなければ民主主義文学運動全体として発展しにくいという基本点はとりあげられていなかった。
 この大会での「勤労者文学の前進」という徳永直の報告は作家らしくこまかい気くばりにみちたものである。かんでふくめるように述べられている。けれども、少くともわたしは、報告者をあのよ
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