ゆくかもしれない。
商品生産を目標としない文学の研究と発表場面がより増してゆくという点で、同人雑誌の活溌化は日本の現実のうちで何の非難されるところもないわけだけれども、火野葦平の文章をよんだ読者の心には、いくつかの疑問が生じはしなかったろうか。
火野葦平は、文学、出版の現象において老舗の権威が恢復され「昔にかえった」その一つのこととして同人雑誌の活溌化にもふれている。「昔にかえった」火野葦平の社会的よろこびの感情の底は深いものであって、この「文芸放談」第三回は、その点でつよく感じさせるところがあった。火野葦平が同人雑誌の活溌化にふれて語っている自身の、陰忍自重四年の間待った甲斐あるこんにちのよろこびは、いかにも意味がふかい。首相は朝鮮での事件を、「天佑である」とよろこんでいる。そのこころに通じるものがあるようで、火野葦平、林房雄、今日出海、上田広、岩田豊雄など今回戦争協力による追放から解除された諸氏に共通な感懐でもあろうか。
東京新聞にのった火野の文章のどこの行をさがしても、「昔にかえった」出版界の事情「老舗がのこっている」こんにちの状況に、最近三年の間強行されつづけて来た言論圧
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