は、それらの同人雑誌が当時にもっていた何かの前進性、敢て試みる文学上の何かの勇気があったわけであった。
小原壮助は、ソヴェトに同人雑誌を発行する自由がないという面だけにひどくとらわれて、いちずに、「同人雑誌こそ新しい文学の唯一の温床」と強調している。しかし、新しい文学[#「新しい文学」に傍点]とは何であろうか。「バクロウが牛の掘りだしものをさがすように」ジャーナリズムに見つけ出され、製造された新人の多くが、本質的に新しい文学を創る力をもつものでなかったことを、火野葦平はむしろ、欣然として認めている。小原壮助の実体の明かでない同人雑誌尊重の論を、火野葦平の「同人雑誌本来の姿」に関する説明とあわせよんだひとは、「新しい文学の唯一の温床」たる同人雑誌が、もし火野葦平の考えるようなものであるならば、それは、全く「昔のとおり」文壇ギルドへの立ちがえりであり、先輩、後輩間の封建的な格づけに従属することであるのにおどろかされるであろうと思う。
三
現代文学は創作方法において、益々行きづまって来ていて、文壇とジャーナリズムの文学[#「文学」に傍点]意識では、打開するに道も見
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