発熱についてはそういう本質の差を知っており、又当然知ろうとするであろうのに、芸術家の死命を制する人間的叡智の根源において、歴史の相貌の質的相異の知覚を失っているばかりか、それを自ら恐怖しもしないというのは、何という憤ろしい一つの喜劇であるだろう。
ジイドは、ソヴェトに対して抱いていた自分の信頼、称讚、喜悦をかくも深刻に痛ましく幻滅の悲哀に陥れ、労働者を欺いている者はソヴェトの一部の特権者と無能な国内・国外の阿諛者達であるとしている。「勝負はスターリンにしてやられ」民衆は悉くスターリンの犠牲者であると声を振りしぼって叫んでいる。その事実の裏づけとしてソヴェト生産並施設の不充分な点について討論しているプラウダやイズヴェスチアの統計が夥しく引用されているのである。
もとよりこれらの統計は拵えものではないに違いない。本ものであればあるほど、その統計を読む人々の心には次の疑問が湧いて来ないであろうか。一体なぜ、ジイドによって食人鬼のように描かれている官僚どもは世界の眼前にこうやって平然と否堂々と自分たちにとって不利益な材料である筈の生産力の弱点や、計画の実践力における弱さ等をあけひろげてみ
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