せているのであろうか、と。
 それは改善されなければならないからである、とジイド自身が説明している。「一度可決採用された計画の実行の問題に関しこの自己批判となると、大入満員の観がある」と。何故に、誰のために改善されなければならず、計画の実行の問題が重要なのであろうか。

 ジイドによれば、人工的に過度に生産その他を強化する必要からである。その必要が現実にあるとして、それならその必要はどこから生じているのであろうか。ジイドは、信じられぬ程の偏執で、その必要は、スターリンの犠牲であり、欺かれたもの達である労働者の上に死刑執行人と、搾取者とが君臨して「ロシアの労働者は幸福であると、フランスの労働者に信ぜしめる為の莫大な宣伝費をつか」うためであると云っているのである。
 これは今日の国際情勢にあって寧ろ余り素朴なデマゴキーであると云わなければならない。果してそういうのが現実であるならば、確にジイドが云っているとおり、そのようなことは余り知りたくもないし、知らせたくもなかろう。従って、ジイドが利用しようと努めているような統計や自己批判の公開もしないわけである。ところがそれがなされている。ジイド自
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