いよ》浮世の波にもまれる始まり、苦労への出発というように見て、それを励したり力づけたりした。その時分苦労と考えられていたことの内容は、女はどうせ他家の者とならなければならないという運命のうけ入れであり、女はつまるところ三界に家なし、と云われた境遇の踏み出しとしてであったと思う。
今日猶、娘を縁づけます、という言葉で表現する親たちでも、親の選んだ対手を娘が好きに思う、好きと思わなくても厭と思わないという程度には、娘の感情を立てて来ていると思う。娘の恋愛やそれを通しての結婚の申出には極端に警戒している親は、自分が選ぶとなると、世間智を万全に活動させて、娘と親とが共々に工合いいようにと気をくばる。そして、その工合いいという判断はいつもとかく事大主義であるのが通例である。今日ならば、今日華やかに見える事業、地位、或は華やかになりそうと思われる方角へ、その選択をもってゆく。そういう親は、その人々なりの善意からではあっても、やはり娘一人を家から好条件に片づけ、更にその良人との生活でもちゃんと片づいて置かれたところに落着くことを目的としているわけである。
自分たちの生涯の問題として、結婚をそうい
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