の愛情だけで解決するのではなくて、必ず家と家とのいきさつになり、双方の両親が多くの発言をもち、娘の良人としての男とは比較にならない程、若い妻には嫁としての負担が加わって来る。ましてや男の側の両親がその結婚に賛成していないとか、女の両親が娘の連れ合として認めていないとか云うことになれば、細々とした日常で女のうける苦痛は絶間ないであろう。そういう心配はないとして、結婚のその夜召集が来たというような実例は、目前に自分たちのこととして思うとき男にも女にも考えさせるものを持っているには違いない。逡巡にもそれとしての理由があるし、又男のひとが、解消の方へと方向をかえてしまい、それで自分の心も思いのこすところなく落付けようとする或る意味の勇気のようなものも、現実の諸関係を見くらべれば分るところがある。けれども、人間の本心に立っての生きかたは、今日の現実の中でこういう道しかないものだろうか。片はついた気持だろうけれども、何かそこに失われているという感じはないだろうか。
 ところで、現在結婚とは一般にどう考えられているのだろう。
 昔の慈愛ふかい両親たちは、その娘が他家へ縁づけられてゆくとき、愈々《いよ
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