ておけるだけの真の落ちついた態度が、妻としての若い婦人に必要なこともあろう。キュリー夫人の伝記は、殆どあらゆる若い人々によまれたのであるが、キュリー夫妻が、アメリカからの手紙でラジウムの特許をとるかとらないかという問題について言葉少なに相談しあった一九〇四年の春の或る日曜日の十五分間のねうちこそ、評価されなければならないと思う。彼等はラジウム精錬の特許を独占して驚くべき富豪になる代りに、人類へその科学上の発見を公開して、キュリー夫人は五十歳を越してもソルボンヌ大学教授としての収入だけで生活して行った。キュリー夫妻の人間としての歴史的な価値は、その十五分ほどの間の判断にかかっていたと云える。人生には平凡事のなかにもそういうような時がある。一つの動きに、その夫婦の生涯の転機がひそめられているようなことがある。盲目的に押しながされてそういうモメントを越したことから夫妻が陥る禍福の渦は、これまで幾千度通俗小説のなかで語られただろう。
 この前の欧州大戦は一九一四年八月一日に始まった。今度の狼火《のろし》は九月三日で、その間に二十五年の歳月があった。あの時分、二十五歳であった若い娘、若い妻、そし
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