のときどうすることがよかったか。結果論のようではあるが私は戦闘機なしでも出すべきであったと思う」と、さながら戦況の不利を目の前に見ているように「何という無念!」という感情で語りすすめている。読者は、専門家の生々した話しぶりにひきいれられ、スリルを刺戟され、われ知らず筆者の感情の流れにひきいれられている。そのようなミッドウェイの敗北をひきおこした戦争の本質について、元参謀長は歴史的な考察と反省を行おうとしていないのである。ただ現象についてだけ語っている。
これは、果して歴史の「真実を語る」方法だろうか。根本の原因にふれないで、そこに生じた現象だけを、おのずからほとばしる職業軍人の感情で語ることに、うそがないというだけで、こんにちファシズムとたたかって平和を確保しなければならないわたしたち日本の人民にとって、誠実な態度であるといえるであろうか。
敗けさえしなかったら。――日本が敗けたんだもの仕方がない。そういう感情は戦争をまるで災難のようにうけとるほど、伝統的な軍国主義のもとに育てられた日本の女性の心に、きょうもまだぬけない根をのこしていはしないだろうか。何もかも敗戦がわるいんですよ。生活の安定がうばわれていることも、またもや軍国主義者が復活し、ことありげな空気をかもしていることも、なにもかも敗戦がわるいのだ。そうあきらめて屈従する気分が、日本の女性の感情を重く鈍くかげらしていないのならば、こんなに負担の多い日々を営んでいる日本の女性によってこそ、もっと激しく、もっと決定的に平和への渇望が表明されていいはずだと思う。
日本の帝国主義は、日本の内地にも植民地朝鮮の人々の、しいたげられた生活を展開させた。自分たちの日々で、「みじめな朝鮮人」を見下げる習慣をもたされてきた一部の人々は、いまは日本も敗けてしまったのだからと、軍国主義権力の崩壊を、それによってこわされた自分たちの生活と同じ一つもののように思いこんで、われから隷属に屈していることはないだろうか。
夫婦の不和や家庭破壊の問題がおこったとき、どんな幼稚な身の上相談にしろ、先ずその原因を冷静につきつめて、と答えている。あのことも、このことも敗戦がわるい、というならば、どうしてその敗戦などという現象がおこったのか。そもそもの原因までさかのぼって、つきつめようとされなかったのだろう。どこでいつ行われようと無慙、野蛮で
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