。いま公判がひらかれている吉村隊長が、外蒙の日本人捕虜収容所のボスとして行った残虐と背徳行為が社会問題化したのは、「暁に祈る」という怪奇なテーマをもつ記録文学がいくとおりか発表され、輿論の注目をひいたためであった。現地の軍当局の信じられないほどの無責任、病兵を餓死にゆだねて追放するおそろしい人命放棄についても記録されはじめた。大岡昇平氏の「俘虜記」そのほかの作品に見られる。ソヴェト同盟に捕虜生活をした人々のなかから、「闘う捕虜」「ソ同盟をかく見る」「われらソ連に生きて」そのほかのルポルタージュがあらわれた。それらは日本軍隊の伝統的な野蛮さとたたかって捕虜生活の民主化に努力した記録。ソ同盟の社会主義社会の運営方法や建設の現実を、捕虜という条件にいながらも公平に評価しようとした若い学徒兵たちの記録。ソ同盟での捕虜生活について流布されている暗い噂を、日常生活の事実で明かにしようとしたルポルタージュなどであった。
 こうして、わたしたち日本の男女が、人民として忘れることのできない経験を、ふたたび吟味することで、帝国主義というものの本質や侵略戦争の現実を学び、非人道な権力に強いられた残虐や民族的偏見をまたくりかえすことはしまいと、決意をもちはじめたとき、記録文学、実録文学の調子に一つの変化があらわれてきた。ルポルタージュであるにはちがいないが、したがってそれはあったことをあったとおりに書いているといえるわけだが、例えば「軍艦大和」という作品が問題になったように、題材に向う態度が、戦争当時の好戦的な亢奮した雰囲気をそのままとり戻しているようなものがあらわれた。二・二六事件の秘史というものが、当時の内部関係者であったファシスト軍人によって主観的に合理化してかかれたものが公表されるし、日本海軍潰滅前後の物語も、当時の連合艦隊参謀長というような人々によって執筆されはじめた。
 これらの記録には、どれにも共通な一つの本質がある。それは元連合艦隊参謀長草鹿龍之介氏「運命の海戦」(文芸春秋、四九・一〇に発表)をよんでもわかるとおり、「ミッドウェイ洋上、五分間の手遅れが太平洋全海戦の運命を決した※[#感嘆符二つ、1−8−75]」と五分早かったらという調子で、海戦の状況がこまかく専門的に記されていることである。元海軍中将であるこの筆者は、その達筆な戦記のなかにきわめて効果的に自然に「しからばこ
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