して来た。これを読むのは、どうせ文学がある程度までわかる人間だ。そういう態度だった。今日のプロレタリア文学批評は、読者大衆に、小説のよみかたに際して新しい文化的基準を与えるというところまで精力的であるべきである。
さて、そういう親切な批評を書こうとするとまず、ある一つの作品の背景にある階級をひろく把握し、作品との関係を明かにして読者の眼前に展望させねばならない。
作品が芸術品として成功していれば、それはどういうところで成功しているか。成功といってもどういう種類とどういう階級の標準によるものか。不成功とすれば局部的のものか、あるいは根本的のものか。なぜ失敗したか。
失敗した作品でも見殺しにしてはいけない、いい芽をもっていることもある。そのものとして成功していても、未来の文化のために寄与する価値をもたないものもある。
それらを、ごく具体的に、一般的に、実際生活と結びつけた見通しをもって話さなければならないのだ。
書きかたも研究がいる。その文芸批評を読むと、もうそれだけで何か活々した熱と力と、広闊な新社会文化への輝きと期待とを感じるようなものがいるのである。
プロレタリアの陣営
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