夢中に亢奮して、夜なかまでありとあらゆる出鱈目を弾きつづけた。
 ピアノの稽古は女学校の二年の末ごろまで続いた。もっとつづくわけであったところ、久野さんが指にヒョーソーが出来て大変長く稽古が休まれた。その間に、規則的な稽古はいつの間にかすてられて、本をよむようになり、自分ではいろいろといじりながら、稽古はそれきりになってしまった。
 上野で初めて第九が演奏されたのと、久野さんがウィーンに行かれ、やがてそこで命をすてられたのとはどっちが先のことであったろうか。久野さんはおそらく私の生涯に只一人の音楽の先生として記憶される方であろうが、こちらがすこしものを考えるように成長して来た十八九歳の時分には、久野さんの気質やものの感じかたが何だか苦しくうけとられた。芸術家として燃焼する型が外向的であったからだろう。
 音楽と女の生活についての考えかたも一般に狭くあったと思う。久野さんに習っていて、のち上野のピアノ科に入り、ずっと首席であった一人の令嬢が、お婿さんをとるためにどうしても音楽をすてて学校をももう一年というところでやめなければならないということを、久野さん自身、残念だが仕方がないこととして
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