きのうときょう
――音楽が家庭にもたらすもの――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三九年八月〕
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この間日比谷の公会堂であった自由学園の音楽教育成績発表会へ行って、それについての様々な感想につれて、自分たちが小さかった頃の生活のうちに、音楽がもたらしたあれこれの情景をなつかしく思いおこした。
もうふた昔三昔のことで、私が五つぐらいと云えば明治三十年代の終りから四十年代のはじめにかけての時期になるが、その時分うちに一台のベビイ・オルガンがあった。五つをかしらに三人の子供たちをそのぐるりにあつめながら、バラの花簪などを髪にさした母のうたった唱歌は「青葉しげれる桜井の」だの「ウラルの彼方風あれて」だのであった。当時、父は洋行中の留守の家で、若かった母は情熱的な声でそれらの唱歌を高くうたった。母自身は娘時代、生田流の琴と観世の謡とをやって育ったのであった。
九つになった秋、父がロンドンからかえって来た。その頃のロンドンの中流家庭のありようと日本のそれとの相異はどれほど劇しかったこ
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