した。今思えば、その声も歌詞もキャバレーで唄われたようなものであったろう。更に思えば、当時父の持って来たレコードもどちらかと云えばごく通俗のものであったと考えられる。オペラのものやシムフォニーのまとまったものはなかったように思われる。
程なく、ピアノの稽古がはじめられた。ヴァイオリンをやるにしろ、基本はピアノだというような話がされていた憶えがある。先生は久野久子さんであった。上野を出たばかりでまだ教えるのではないが、というようなところを特別にたのみ、家が三丁ほど離れた同じ本郷林町のお宅へ通った。やっぱり、ベビイ・オルガンで教則本の三分の一ほどやったのであった。手首を下げた弾きかたで弾くことを教った。そのうち或る晩、本郷切通しの右側にあった高野とか云う楽器店で、一台のピアノを見た。何台も茶色だの黒だののピアノがある間にはさまって立っていたそのピアノは父と一緒に店先で見たときはそれほどとも思わなかったのに、家へ運ばれて来て、天井の低い茶室づくりの六畳の座敷へ入れられたら、大きいし、黒光りで立派だし、二本の蝋燭たてにともった灯かげに燦く銀色の装飾やキイは素晴らしいし、十一ばかりであった私は
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