れて手をもぎはなすほどの力さえない男の気持を、女はかがみの中にうつす様に自分の心にうつし見てまっしろに光る倉の扉にほほ笑みをなげた。
 赤坊があきのきたおもちゃをポンとほうり出す調子にお龍は自分の手から男の手をはなした。白い二本の手は又先の様にだらりと両わきに下った、男はうつむいた目を上げてチラッと女を見あげて又食入った様に下に向いた目を動かさなかった。お龍はジッとうす闇の中にうく男のかおを見た。白い細い指が顔をおさえて指と指とのすき間にかすかな悲しみの音のもれてくるのを見て女はするりとまぼろしの消える様に行ってしまった。男は荷物をもちあつかう様に石段の上に自分の体をなげて長い間ほんとうに長い間今のは夢ではあるまいか? いたずらをされたんじゃああるまいか? どうしてあんな気持になって呉れただろう? と思って、心も体もとけて行きそうなうれしさと限りない恐れとかなしみとよろこびにふるえて居た。
 それからうす明りの倉前に立つ二人の若い姿を見るものは着物をしまいに来た女中の一人二人ではなかった。傘の下に二つのかおが並んだ絵の倉の扉に爪で書いてあるのもお龍は知って居た。日毎に男の瞳はぬれてうる
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