口を利く人がなけりゃあ困ると思って居る所へ山田の主人が来てその話を聞くと、何の訳が有るものか、私がうけ合って取ってあげると約束をした。
※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子が来た時分きっと取ると云った山田からは音沙汰ないし、自分の方でもいつまでも穴をあけて置き度く無いからと云うので祖母は気を揉んで居る所だった。
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「ほんとに山田さんもどうしたんだろうね。
あんなに確り受合って居ながら何とも云ってよこさないんだよ。
私もほんとに困って仕舞うよ。
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祖母は茶の間で新聞を読んで居る※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子にこぼした。
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「ほんとにねえ。
だけれど、お祖母様も御たのみなさりようが悪かったもの。
あんな人にどうして金の事なんか御委せなすったの。
「だけれどお前、丁度私が、来て居なすった小学校の先生とその事を御話し仕て居る所へ来て『ウン、そんならわしが引きうけた』と云うんだもの。
彼の人に断ったってどうせは誰かにたのまなけりゃあならないのだから、又己を好いと断りながら誰に頼んだとか何とか云って面倒が持ちあがるから、仕様事なしにたのんで仕舞ったのさ。
「そりゃあ、そうかもしれないけれど、
『そうですね。おたのみする様だったら又改めて私が上って種々お願い仕ましょう』
と云って置いた方がようございましたね。
たのむ頼まないは此方の勝手なんだから彼の人が何と云おうが確かな人にした方がどれだけ安心でよかったか知れない。
「そりゃあお前はそう云うけれどね、
きまり切った顔が殖えも減りもしない此の小さい村ではそんな事が大した事なんだからね。
何でも私みたいに皆の世話に成らなけりゃあならない者は一人でも敵を作るのはよくないのだから。
「それもそうですね。
それで何なの、お祖母様、どうなって居ましょうかってお聞きにでも成った事があって。
「あああるともね、この間中は日参して仕舞った。
明日は町へ行きますから行らしって下さいって云うから行くと彼方の主人が居ませんからまた明日出なおして行きましょうと云ったりして、一日だってはっきりした事は分らないんだもの。私がいくら気長だって腹も立とうじゃあないか。
「一体どの位お貸しなすったの、そいで何をして居る家なの、彼方は。
「八十円ばかりなんだよ。
生糸だの桑だのを商売にして居る家なのさ。
かなり大きな家なのだよ、彼処いらではね。
だから困ったと云っても其の時限りの話だったんだろうし、それに今年は生糸は戦《いくさ》で下った代りに桑が大変好い価だって云う事を聞いたから、九十や百は何でもなく返せる筈なのだよ。
「まあそう。
そいじゃあもっとどしどし云ってお遣りになれば好いじゃあ有りませんか。彼方の家へも山田の方へも。
「けれども又そうひどくも云えないからね。
「でも証文や何かを皆山田へお預けなさったの。
「証文は私が持って居るがね。
万事好い様におねがいするとは云って置いたのさ。
それでね、お前に一つ云ってもらいたいんだよ。
東京から云われて来たって云う事をね。
「だって私にそんな談判が出来るもんですか。
一口で凹《へこ》まされて仕舞うでしょう。何にも知らないんですもの。
「そんな事あるもんかね。
私より字も書け、読めもする癖に、そんな事が出来ないなんて事はないよ。
ほんとに行っておくれでないかい。
「だってお祖母様。
外の事なら仕てあげるけれど……
「そんな事云わずとさ。
いろんな家の事の相談相手に成れるからこそお前だって来た甲斐が有るんじゃないか。
「相談相手にはなる事よ、いくらでも。
だって私貸し金の催促に行かせられるのは生れて始めてですもの、厭だろうじゃ有りませんか。
誰か外の人におしなさいよね、お祖母様。
「いいえ、お前が好いんだよ。
東京の家でもどうにか仕たいと云って居ますからと云って様子だけ見て呉れれば充分だから。
「お祖母様御自分で行らっしゃいましよ。
「いやだよ、私は。
後生の悪い業突婆見たいじゃないかい。
「そんなら私だって慾張り娘みたいでいやじゃあ有りませんか。
[#ここで字下げ終わり]
※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は殊にお久美さんの事を思うと行き度く無くなった。
若し山田の家で使い込んででも居る様だったら、その事を聞くお久美さんだって辛いだろうし、自分だって、僅かばかりの金にせくせくして居ると見られるのはいやであった。
けれ共祖母が行って呉れ行って呉れと繰返し繰返したのむので、生れて始めての経験に胸をわくわくさせながら山田へ出かけて行った。
主屋の方へ行くと長火鉢の前に恐ろしい眼付をしたお関が中腰になって居て、隅の方にお久美さんがしょんぼり眼を赤くしてうずくまって居た。
※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は嵐の起ったらしい様子にちょっと躊躇したけれ共何でもない様にお関に挨拶をした。
お久美さんは好い逃時の様に※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子を一寸見たきり音も立てずに奥へ引っこんで仕舞ったあとで二人は下らない世間話をして居たが機を見て※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は却って金の催促をされる様な顔を仕ながら、
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「あの橋本の事を種々御面倒になって居りますそうですけれど、どんな工合になりましたろうね。
祖母も気を揉んで居りますし、東京の家でもなるたけ早く極りをつけたいと云ってますから。
[#ここで字下げ終わり]
とやっとの思いで口を切った。
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「ああその事ですか。
それはね、ほんとにお気の毒様なんですけれど、思う様に行きませんのですよ。
第一向うは商人ですからね。
そんな事になるとなかなか抜目なく立ち舞いましてね。素直においそれとは出しませんですよ。
「そりゃあそうでしょうってねえ。
ああ云う風な商売をして居ては金を借りるのにもなれてましょうから。
けれ共近頃に行らっしゃっていただけたでしょうか。
「さあ、どうでございますかね。
もう此頃は何ですか、いそがしがって、御覧の通り今日ももう家に居ませんのですから。
きっと又思いながら行かれないで居るんでございましょうよ。
それにああ云う事はどうも機《しお》が有りましてね。
「ほんとに御いそがしいのに御無理でしょうからね。
祖母も、あんなに用が沢山御あんなさるのに御たのみして置くも心ないって云って居ますんですから、あんまり御面倒の様でしたら御遠慮なく御断り下すった方がようございます。
僅かばかりの事なのですから、誰にでも出来ましょうから……
「いいえ迷惑の何のと云う事じゃあ有りませんのですよ、切角自分も思って仕始めた事だからどうしてもまとめて仕舞い度いとは申して居りますんですからね。
只あんまり長く掛ってすみませんのですけれど。
「御迷惑でさえ有りませんでしたら此ちらも願って置いた方がいいんですけれ共……
祖母も云って居るんですけれ共、どうせ返す見込みがないものならなかった物だと思って黙ってあげるけれど、こんなに延ばし延ばしして一度も顔も持って来ないのはひどいってね。
一体|彼方《あちら》は返すつもりで居るんでしょうか。
「そりゃ貴女、勿論拝借したものですもの、
お返し仕様とは思って居ましょうよ。
「そうでしょうかねえ、
そんならどうでも好い様な事だけれ共一度位云いわけに来そうなもんだけれ共……
何か上手《うま》い方法はないでしょうかねえ、
ほんとに困って仕舞う。
「そうですねえ。
兎に角あれ丈のお金なんですから。
でもまあ家で一生懸命物にする積りでやって居るのですし致しますから、あんまり外から口をお入れなさらない方がようございましょうよ。
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※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の心にはフッと或る事が浮んだ。
そして鋭く聞いた。
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「何故?
「いいえ、何故って、
何故って事もありませんですけれどね。
あんまり彼方此方から云われると却って変に出てなかなか出さない人が有りますですから。
「そうかも知れませんね。
けれどあんまりはかどらないから丁度町に知った弁護士が居るから其の人に口を利いてもらいたいって云う事も云って居るんですけれど。
「さあ、それはどうでしょうかね、
私なんかには分りませんけれど、それ程にする事はありますまいと思いますよ。
まあ弁護士と云えば公になり勝ちでございますもん、事を荒だてて見た所でさほどの功も有りませんでしょうよ。
まあ勝手な事を申しますが、当分は家にお委せなすって居らしってようございましょう。
どうにかなりましょうから。
「そうですね。
そいじゃあ山田さんがお帰りなすったらよくお話しなすっといて下さいまし。
御いそがしいでしょうが、どうぞよろしくお願い申しますってね。
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※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は帰る道々、どうしても、彼方からは金は返ったのだけれ共山田の家で消えて仕舞った様な気がしてたまらなかった。
他の人に口を利かせるなとか、事を荒だてるには及ばないとか云うのは、只此方の為にばかりではない様な気もした。
第一金に饑えて居る様な人にこんな事をたのむのは、此方からそうする様に仕向ける様なものだ。
お祖母様もあんまり不用心すぎる。
そうなってからああ斯う云ったってもう仕て仕舞った事でどうも成りはしないのに。
※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は祖母に山田からの報告をしながら、今まで思って居た事を云おうか云うまいかを迷っていた。
云ったって好い様な事だけれ共、若しそれが事実だったらば、何の関係もないお久美さんにまで悪意を持たれる様になっては、そうでなくってさえよく云われて居ない家の娘と仲よくして居るのを不快に思って居る祖母はどんな事をするか知れないと云う不安があったので、其れがほんとだったら私が云わずとも自然に分って来る事なのだからと思って到々飲み込んで仕舞った。
けれ共そんなこんなで、昔から山田のために掛けられた種々な迷惑な事を思い出して来た祖母は、※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子が喫驚《びっくり》する位細々しい事まで話して聞かせて居たが、到々仕舞いにはお久美さんの事に落ちて行った。
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「一体|彼《あ》のことお前はどうした事なのだえ、
私はほんとに不思議でしようがないよ。
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などと、どうせよくは運が向いて来ない娘とそんな仲よく仕て居たって何にも成る物じゃあない、もっと得に成る友達を作るものだとか何とか云って※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子に気を悪くさせて仕舞った。
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「お前はほんとに変な人だよ。
十一二の時から風変りなんだものね。
高沢さんのお嬢さんが遊ぶから来い来いってお云いなさるのに行かないで、あんなお久美なんかと大騒ぎやって居るんだから。
何にしろあの方だって男爵のお嬢さんなんだからね、つき合って居ればいいのさ。
「まあ、あの事をまだ覚えて居らっしゃるの。
私もようく覚えて居るわ。あんまり腹が立ったから。
だってあの時分あのお嬢さんはまだやっと八つか九つ位だったのに私の事を顎で指し図して、
『之をおしなさい』『彼れをおしなさい』って小間使いの様に用を云いつけて切りたくもない人形の絵草紙だの何だのを切り抜かせられた時はほんとに腹が立った。
ちゃんとして行ったお客様だのにと思ってね。
あんな事をさせて喜んで見て居る親が随分馬鹿ですね。あんな事をして着物や人のお辞儀とお世辞のために生きて居る様な女に仕て仕舞うのだから。
それから見ればお久美さんの方がよかった筈じゃああ
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