ために明らさまな若い女の魅力を流れ出させた。
お関は一人の娘を段々に仕立あげて行く時の力に反感を持たずには居られなかった。
そして、お久美さんに或る自然的な変化が起った時にもお関は何の助言も与えずにまごまごして居るお久美さんの当惑した顔を見てむごい快感を得て居た。
お関は可愛がろうと酷め様とお久美さんの事に就いては傍の者が口出しを出来ないのだとは思って居たけれ共、只一人※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子と云うものが何かに付けてお久美さんの肩を持ち、事によったら自分を差し置いても種々な事を引き受け兼ねない様子で居るのが、何より不満でもあり不安でもあった。
山田は※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の家の要求には或程度まで従って行かなければならない位置に有るので、思う通りの事をしてかなり自分の云い分を通して居る※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子が真剣に成って其の周囲を説き付ければ或はお久美さん一人位の面倒は実際見ないものでもないと思う事はお関にとって苦痛であった。
余裕のない生活の中からお久美さん一人の減ると云う事はその影響も小さい事ではなかったけれ共、若し自分の手元からはなれた彼女が思わぬ手蔓に思わぬ仕合わせに会う事が決して無いとは云えないと思うと、どうしてもお関は※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子に油断が出来なかった。
何かにつけては、
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「彼那我儘な人と仲よしになったりして、一体お前はどうする量見なのかい。
あのお※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]さんなんて、お前一体どんな人だと思って居るのかえ、
御飯たく事も知らない様な人の云う事を一から十まで有難がって顎で指図をされて居るんだもの。
今に好い様にされて仕舞うのはもう私にはちゃーんと見えて居る。
馬鹿も好い加減におし。
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などと云ったけれ共、お久美さんはだまって聞いて居るばかりで、お関の望んで居る様な結果になろう筈もなかった。
お関は今更自分の迂闊が悔やまれて、子供の事だからと、今日の様な事を考えもしずに始めに介《かま》わず遊ばせて置いたのがそもそもの手落ちであった等とも思い、見掛けによらず執念くして居る※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の気持を疑ったりして居た。
けれ共まあ当分の間の事だ、お※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]さんが他家へでも行く様になれば総ては自分の都合通りになる等と云う事もお関の心の中には有った。
七
お関にはお久美さんの事も気になりながら、一方では自分の若い時の子の重三の事を種々近頃になって思い出して、丁度自分に子のないのを好い口実にしてどうにかして養子格にして家に入れたいと云う事を非常に願って居た。
けれ共もう二十年以上も会わないのだからどんな男になって居るか、何をして居るのかまるで分らなかったし、又それを山田の主人に切り出す折もなくて居た。
お関はY県に居る自分のたった一人の子の事を種々な不安と憧憬を以て折々考える様になって来て居た。
所へ恭吉が洗濯男として山田の家へ住み込んだと云う事は種々な点でお関の心に動揺を与えたのである。
町の呉服屋の世話で信州の生れだと云う彼の来たのは去年の春であった。
紺の股引きに破れ絆纏ばかりの小汚い者を見つけて居るお関の目には、麦藁帽子を軽く阿彌陀にかぶって白い上下そろったシャツと半ズボンでどこかしゃんとした恭吉の姿が実物以上に立派に見えたのは確かである。お関は非常な興味を以て色白な顔だのまだ一度も砂ほこりを浴びた事のない様な艷やかな髪などを見て居た。
かなり透明な声、陽気に調子よく吹く口笛、その他荷の中に持って来た何かの横文字の本、何から何までがお関には一種の幼い驚異の種であった。
何だか「恭、恭」と呼び捨てにして此那仕事をさせて置いて好いのか知らんと云う気にさえなって、出来る丈の好意を以てあつかった。
出来る丈給金も出し家の者同様にして居るお関は、恭吉が自分に対して下らない悪口を云っても只其れを気の利いた悪戯口と外聞かなかったし、一寸した意見を吐いても只「恭吉は横文字が読める」と云う事ばかりにでも或る尊敬を感じて居るお関には如何にも意味のある立派な心の所有者の様に感じられた。
山田の主人も恭を今までの雇人とは異って持[#「持」に「(ママ)」の注記]り扱って気持のよい身のこなしや小器用な仕事の仕振りを見ると、
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「家もそろそろ養子の工面でもせんきゃあならんなあ。
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等と云い出したりし、お関も亦重三の事がしきりに思われて、どんな立派な男に育って居るだろう、ぜひ一度は会いもしたし、出来る事なら家へ入れたいと云う願望がはげしく起って、長い間親知らずで放って置いた大切な息子へ気の毒であったり済まなかったりする気持が一方恭への態度をより丁寧に思いやり深くさせた。
まだ二十三で何処かしら未熟の若い節々がお関に自分の子に対する様な気持を持たせるに充分であった。
暑い日には町への使に出したくない、出来る事なら何にもさせずに楽をさせて置きたいと云う彼女等の階級の頭には先ず第一に起る姑息の愛情に全然支配されて、恭の口軽なのについ釣られて、自分等の内幕の苦しさを幾分誇張してまで話して聞かせる様な事さえもあった。
けれ共恭は何処までもお関を飲んで掛って居た。
お関が自分に対して持って居て呉れる好意を利用しない程自分は気の廻らない人間ではない等と思って居たので十九の時家を飛び出してから此の方彼処此処と働いて歩いた家々の中では一番住みよくもあり勝手の利く落付き場所であった。
お関は恭に対しては実に静かな心持で接して居たのだけれ共、或る日フト恭が小女にからかってさも面白そうに並びの好い歯をチラチラさせて笑い興じて居るのを見ると、又今まで眠って居た種々の気持が徐々と目ざめて来たのであった。
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「恭は男だ。
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此の言葉は非常に複雑した気持をお関に起させた。
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「恭は男である。
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お関の目前には今までとまるで異った恭吉と云う二十三の男が若くて達者で見よい姿を以て現われて来たのである。
お関は恭の前に近づくすべての女と云う女に対して自分は非常に堅固な防材とならなければならないさし迫った必要を感じたので、洗場へ行く者は只一人自分のみを選び「若い女」と云うお久美さんへ多大の注意を向けて居た。
恭は如何にもちゃんとして居る。
利口であり美くしくもある。
今こそ斯うやって居ても近い未来に幸福になると云う事は分りすぎて居る位明白な事である。
そしてお関は恭に対して明かに嫉妬を感じ始めたのであった。
恭が何の差し支えもなくドンドンとはかどらせて行く幸福への道順を手放しで歩かせて見て居る気にはなれなかった。
此の恭吉のために此の広い世の中のどっかの屋根の下に一刻一刻と育ち美くしくなりまさって居る娘のある事を考える丈でもお関の体は震える程ねたましかった。
お関は様々の混乱した感情に攻められて何事も落付けない日を続けて居た。
けれ共間もなく恭吉は狂気の様な熱心と執拗さで発表された四十を越した女の爛れた様な羞恥のない熱情の下で喘がなければならなかった。
勿論、お関に対して恭は或る強味は持って居たのだけれ共、テラテラとした日の下で弛んだ筋肉のだらしなく着いた体を曲げたり伸したりして、其の獣の様な表情のある顔に大胆な寧ろ投げ遣りな影の差して居るのを見ると、胸の悪くなる憎しみと、侮蔑とを感じないわけには行かなかった。
恭吉は徹頭徹尾お関を馬鹿にして居た。
お関は恭吉に対して殆ど極端な嫉妬と不安とを持って居たにも拘わらず、不思議な悪戯者が何処か見えない所から二人を意地悪く操って居た。
お関自身身を離れない仇敵として此上なく憎んで居る自分の調わない容貌と傾いた年齢とは此の時無意識の好意ですべての事の上を小器用に被うものとなった。
山田の主人はその間中も恭を見る毎に自分の実子の無い淋しさをお関に訴えた。
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「俺にも恭位の息子が有ればなあ。
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と云う時の彼は実に落着いた淋しい気の毒な老年の男であった。
彼の心が珍らしく真面目に悲しみを帯びて、自分の墓を守って呉れるべき若者を待ち望んで居るのを知ると、お関は、重三の生き返る日の来た事を非常に喜んだ。
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「若し似て居さえしなければ。
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お関は押え切れない望みに動かされてY県に居る実の母と子に会いに行った。
お関は二十幾年振りかで帰った故郷の有様に皆驚く事ばかりで有った。
六十を五つ六つ越した母親が余り衰えもせずに、せっせと人仕事をしたり、重三と一緒に少しの土地を耕したりして、思ったよりはひどくない生活をして居るのも思い掛けない事ではあったのだけれ共、骨太に堅々と肉の付いた大男が自分の息子で有ろう等とは、「ひよめき」のピクピクしてフギャーフギャーと云って居た間二三日丈見て居た自分に実に驚くべき事で有った。
身丈の気味の悪い程大きい体に玩具の様な鍬を下げて一人前の男にノッシリ、ノッシリと働いて居るのを見ると、しみじみ二十年余の月日が長かった事を思わずには居られなかった。
お関は「可愛がるには大きすぎる」と云う様な感に打たれながら母親に耳打ちして、自分の頭に萌えて居る計画を話した。
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「ウン、そりゃあよかろ。
そんな訳合ならよく私も気をつけてやろ。
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お関は母親に二人の癖なり顔立ちなり身ごなしなりを非常な正直さと熱心で比較させた。
如何にも重三の顔は土臭かったけれ共お関とはまるで異った骨骼と皮膚とを持って居た。
離れたっきりで居たおかげで何一つとして同じ癖は持って居ない。
まるで赤の他人同様だと見えたのである。
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「ほんに好い都合じゃ。
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満足した囁きが又繰返され、お関は喜悦と一種の好奇心に胸を一杯にして機嫌よく帰って来た。
それから後も屡々山田の主人は養子の事を云って居ると、お関が行って来てから三月目にY県の実母から手紙をよこして、
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「矢吹さんの息子が二十六になって居て、次男でもあるしするからどこぞへ行きたいと云うてなさるが。
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と云って来た。
お関は平静な気持で、
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「まあ矢吹の重ちゃんが其那にもなりましたかねえ。私の家に居た頃はまだほんの水っ子だったのにね。早いもんだ。
私の婆さんになるのに無理はない。
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等と主人に話して行った。
山田は、矢吹の士族である事にすっかり気を引かれて、
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「そうかい。そりゃあ好い。
士族なら申し分はないな。此那に落ちぶれても元は斬り捨て御免の御武家さんじゃったんだから、平の土百姓からは養子も出来んと思うとった。
なあお関。
捨てる神あれば拾う神ありじゃわい。
それにお前も前方から知っとりゃ情も移ると云うもんだ。
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と非常な満足でお関の母の心遣いをよろこんで居た。
八
その前から※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の祖母は町の或る商人にかなりまとまった金を貸して居た。
その男の娘が一年程家に来て居た事から泣きつかれて、今其れだけ拝借出来なければ一家散り散りばらばらに成って仕舞わなければなりません、とか何とか云うので、人だすけだと云って祖母が東京へは無断で出してやったのだった。
きっと御返し致しますと証文まで書いた正月が過ぎてから幾度催促をしても寄さないので、誰か仲に入ってちゃんと
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